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05 沖縄と福建における亀甲墓の対比 -外部意匠の比較を中心として-
著者
小熊 誠
Oguma Makoto
出版者
神奈川大学 国際常民文化研究機構
雑誌
国際常民文化研究叢書3 -東アジアの民具・物質文化からみた比較文化史-=International Center for Folk Culture Studies Monographs 3 -Comparative Cultural History from the Perspective of East Asian Mingu and Material Culture-
巻号頁・発行日
pp.43-61, 2013-03-01
沖縄の亀甲墓は、近世福建の亀甲墓の墓型が導入されて成立したことは従来指摘されてきた。また、そういう経緯があるにもかかわらず、沖縄の亀甲墓は福建の亀甲墓とまったく同じではなく、異なる点があることも指摘されてきた。しかしながら、具体的な墓の構造や意匠などに注目して、両者を比較する研究は多くはなかった。それを本格的に行ったのは、平敷令治であった。その研究を基本として、ウーシ(臼)といわれる琉球・沖縄の亀甲墓の特徴がどのように創造されたのかを再検討する。 まず、琉球家譜に描かれた近世福州における亀甲墓と福州で実地調査した墓調査資料をもとに、福州における亀甲墓の歴史的展開とその特徴を亀甲墓に施された石獅子や仙桃、螺古などの意匠を中心に考察する。次に、近世琉球における亀甲墓について、写真や墓図をもとに、琉球士族、有力村役人層である久米島上江洲家の事例を整理する。さらに近代以降の亀甲墓について、津堅島の事例を検討する。そこから、ウーシがいつから、どの墓につけられるようになり、どのように展開したかを分析する。 福州における亀甲墓の歴史的展開と琉球・沖縄における亀甲墓の歴史的展開を対比することによって、ウーシは福州の意匠の影響ではなく、むしろ琉球第二尚氏王家の王墓である玉陵の円筒の影響があることを類推する。また、福州では中国的な風水や富貴願望の慣習から亀甲墓の意匠が展開したことを示す。 本稿の新しい方法論として、福州における歴史的展開と琉球・沖縄における歴史的展開を対比するという時間軸と空間軸と組み合わせた立体的な比較研究を提示した。そして、福建と琉球・沖縄の亀甲墓は、コンバージェンス(収斂)だとした平敷令治の指摘に対して、本稿では福州の石獅子などの意匠と琉球・沖縄のウーシという意匠の具体的な物質文化の対比によって、その意味とその違いを検討した。
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