著者
シリヌット クーチャルーンパイブーン
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.475-493, 2013

タイにおける学生運動は,言論の自由を含む1968年の憲法公布をきっかけに,様々な動きが見られるようになった。本稿では,新聞記事の分析を通じて,事例として取り上げた「反野口運動」と「日本製品不買運動」の背景や関連を考察した上で,タイにおける学生運動の展開かつ運動の成否に関わった資源や運動に貢献した政治的機会の観点から考察を進める。「野口キック・ボクシング・ジム事件」による「反野口運動」及び「日本製品不買運動」は,いずれもタイにおける日本の経済侵略に対する不満や不安感が高揚していた状況の中で起きたものである。「反野口運動」において,新聞記事を分析した結果,「ムアイ・タイ」を「キック・ボクシング」と呼んでいることや野口のムアイ・タイに対する捉え方が,タイ人の怒りを招いた一つの原因であると論じられる。また,「反野口運動」は,学生運動としての位置付けはこれまでされていないが,学生が大きな役割を果たしていたとは言える。一方「日本製品不買運動」は,タイにおける初めての本格的な学生運動であったと評価されている。運動を呼び起こした要因としては,日本のタイに対する経済侵略への不安及び不満が挙げられるが,他にも当時の独裁政権に対する不満が日本に転移して表現され,日本がスケープゴートにされたということも考えられる。両運動の関連については,「野口キック・ボクシング・ジム事件」は「日本製品不買運動」を導く口火であったと言える。「野口キック・ボクシング・ジム事件」によって,運動のモジュールを獲得した新聞と学生は,同様のパターンを用いて一個の国を攻撃対象とした大規模な「日本製品不買運動」を展開することができたと考えることもできる。運動の成否を決定する資源について,本稿では①良心的支持者による物資的援助,②社会問題改善に対する意識を強く持つ大量の学生,③小規模の運動によるにノウハウ,④タイ全国学生センターと学内における少数のセミナーグループといった学生ネットワーク,そして,⑤政治的機会の増加,といった五つの資源が運動の成否に貢献したと論じる。

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こんな論文どうですか? 1970年代におけるタイ学生運動 : 「野口キック・ボクシング・ジム事件」と「日本製品不買運動」を事例に(シリヌット クーチャルーンパイブーン),2013 https://t.co/WZ6lSUnkv8
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