著者
シリヌット クーチャルーンパイブーン
出版者
北海道社会学会
雑誌
現代社会学研究 (ISSN:09151214)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.1-20, 2015 (Released:2016-07-02)
参考文献数
25

タイにおいて,1970年代に入ると,学生たちは各地の民主化と共に,政治的 民主化への熱情を高め,自国の問題に対する意識を持ち始めた。そして,日本 のタイに対する帝国主義的な行動も注目されることとなった。本稿では,日本 に反抗する気持ちが高揚していた1972年に発生した「野口キック・ボクシン グ・ジム事件」と「日本製品不買運動」を新聞記事の分析及び運動参加者の語 りを通じて,考察を進めてきた。その際,本稿では,運動の発生の背景や運動 の発展,成否に関わる要因など,様々な観点から考察を行った。 その結果,「野口キック・ボクシング・ジム事件」は「日本製品不買運動」の 前哨戦として位置付けることができ,ともに新聞のセンセーショナリズムの影 響を一つの背景として,運動参加者を動員して行われたことが分かった。「野口 キック・ボクシング・ジム事件」は日本主義的消費文化流入に対する反抗によっ て発生したと考えられる。一方,「日本製品不買運動」は,日本のタイに対する 経済侵略をはじめ,様々な不安及び不満が重要な要因であったが,日本の投資 家との相互作用的な関係を持つ軍事独裁政権に対する不満が日本に転移して表 現されたと考えられる。そして,運動を展開する際に,ネットワーク,人的資 源,知識的資源など,様々な資源が運動の成功に貢献した。これらの資源は, タイにおける民主化運動,学生運動の基盤作り,となったと考えられる。
著者
シリヌット クーチャルーンパイブーン
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.475-493, 2013-12-20

タイにおける学生運動は,言論の自由を含む1968年の憲法公布をきっかけ に,様々な動きが見られるようになった。本稿では,新聞記事の分析を通じ て,事例として取り上げた「反野口運動」と「日本製品不買運動」の背景や 関連を考察した上で,タイにおける学生運動の展開かつ運動の成否に関わっ た資源や運動に貢献した政治的機会の観点から考察を進める。 「野口キック・ボクシング・ジム事件」による「反野口運動」及び「日本製 品不買運動」は,いずれもタイにおける日本の経済侵略に対する不満や不安 感が高揚していた状況の中で起きたものである。「反野口運動」において,新 聞記事を分析した結果,「ムアイ・タイ」を「キック・ボクシング」と呼んで いることや野口のムアイ・タイに対する捉え方が,タイ人の怒りを招いた一 つの原因であると論じられる。また,「反野口運動」は,学生運動としての位 置付けはこれまでされていないが,学生が大きな役割を果たしていたとは言 える。 一方「日本製品不買運動」は,タイにおける初めての本格的な学生運動で あったと評価されている。運動を呼び起こした要因としては,日本のタイに 対する経済侵略への不安及び不満が挙げられるが,他にも当時の独裁政権に 対する不満が日本に転移して表現され,日本がスケープゴートにされたとい うことも考えられる。 両運動の関連については,「野口キック・ボクシング・ジム事件」は「日本 製品不買運動」を導く口火であったと言える。「野口キック・ボクシング・ジ ム事件」によって,運動のモジュールを獲得した新聞と学生は,同様のパター ンを用いて一個の国を攻撃対象とした大規模な「日本製品不買運動」を展開 することができたと考えることもできる。 運動の成否を決定する資源について,本稿では①良心的支持者による物資 的援助,②社会問題改善に対する意識を強く持つ大量の学生,③小規模の運 動によるにノウハウ,④タイ全国学生センターと学内における少数のセミ ナーグループといった学生ネットワーク,そして,⑤政治的機会の増加,と いった五つの資源が運動の成否に貢献したと論じる。
著者
シリヌット クーチャルーンパイブーン
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.475-493, 2013

タイにおける学生運動は,言論の自由を含む1968年の憲法公布をきっかけに,様々な動きが見られるようになった。本稿では,新聞記事の分析を通じて,事例として取り上げた「反野口運動」と「日本製品不買運動」の背景や関連を考察した上で,タイにおける学生運動の展開かつ運動の成否に関わった資源や運動に貢献した政治的機会の観点から考察を進める。「野口キック・ボクシング・ジム事件」による「反野口運動」及び「日本製品不買運動」は,いずれもタイにおける日本の経済侵略に対する不満や不安感が高揚していた状況の中で起きたものである。「反野口運動」において,新聞記事を分析した結果,「ムアイ・タイ」を「キック・ボクシング」と呼んでいることや野口のムアイ・タイに対する捉え方が,タイ人の怒りを招いた一つの原因であると論じられる。また,「反野口運動」は,学生運動としての位置付けはこれまでされていないが,学生が大きな役割を果たしていたとは言える。一方「日本製品不買運動」は,タイにおける初めての本格的な学生運動であったと評価されている。運動を呼び起こした要因としては,日本のタイに対する経済侵略への不安及び不満が挙げられるが,他にも当時の独裁政権に対する不満が日本に転移して表現され,日本がスケープゴートにされたということも考えられる。両運動の関連については,「野口キック・ボクシング・ジム事件」は「日本製品不買運動」を導く口火であったと言える。「野口キック・ボクシング・ジム事件」によって,運動のモジュールを獲得した新聞と学生は,同様のパターンを用いて一個の国を攻撃対象とした大規模な「日本製品不買運動」を展開することができたと考えることもできる。運動の成否を決定する資源について,本稿では①良心的支持者による物資的援助,②社会問題改善に対する意識を強く持つ大量の学生,③小規模の運動によるにノウハウ,④タイ全国学生センターと学内における少数のセミナーグループといった学生ネットワーク,そして,⑤政治的機会の増加,といった五つの資源が運動の成否に貢献したと論じる。
著者
シリヌット クーチャルーンパイブーン
出版者
北海道社会学会
雑誌
現代社会学研究 (ISSN:09151214)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.1-20, 2015

タイにおいて,1970年代に入ると,学生たちは各地の民主化と共に,政治的民主化への熱情を高め,自国の問題に対する意識を持ち始めた。そして,日本のタイに対する帝国主義的な行動も注目されることとなった。本稿では,日本に反抗する気持ちが高揚していた1972年に発生した「野口キック・ボクシング・ジム事件」と「日本製品不買運動」を新聞記事の分析及び運動参加者の語りを通じて,考察を進めてきた。その際,本稿では,運動の発生の背景や運動の発展,成否に関わる要因など,様々な観点から考察を行った。その結果,「野口キック・ボクシング・ジム事件」は「日本製品不買運動」の前哨戦として位置付けることができ,ともに新聞のセンセーショナリズムの影響を一つの背景として,運動参加者を動員して行われたことが分かった。「野口キック・ボクシング・ジム事件」は日本主義的消費文化流入に対する反抗によって発生したと考えられる。一方,「日本製品不買運動」は,日本のタイに対する経済侵略をはじめ,様々な不安及び不満が重要な要因であったが,日本の投資家との相互作用的な関係を持つ軍事独裁政権に対する不満が日本に転移して表現されたと考えられる。そして,運動を展開する際に,ネットワーク,人的資源,知識的資源など,様々な資源が運動の成功に貢献した。これらの資源は,タイにおける民主化運動,学生運動の基盤作り,となったと考えられる。