著者
井口 正俊 Masatoshi IGUCHI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
国際文化論集 (ISSN:09130756)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.1-22, 2005-08

*「踊りにおいてだけ,至高なるものの比喩を語ることが出来ることを私は知っている,しかし今は,私の最も高貴なる比喩は語られずに,私の身に残り続けている!最高の希望は,語られもせず,救済されることもなく私の中に残存し続けていた!そして,私の青春の面影と慰めの言葉は私にとってすべて死んでしまった。……しかし,墓のあるところに,復活もまたあるのだ」(ニーチェ『ツァラトウストラはかく語りき』第二巻「墓の歌」)*「終末論の世俗化に代わっての終末論による世俗化」(H・ブルーメンベルク『近代の正統性』Ⅰ-4)*「誰が語っているか,あるいは誰が書いているかがもはやわからなくなるや,テクストは黙示録的になる」(J・デリダ『哲学における最近の黙示録的語調について』)

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こんな論文どうですか? 世俗化された黙示録的世界,あるいは終末論の遠隔化-P・ブリューゲルの『絞首台の上のカササギ』考(2)-(井口 正俊ほか),2005 https://t.co/iNLYLYI6vn
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