著者
井口 正俊 Masatoshi IGUCHI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
国際文化論集 (ISSN:09130756)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.1-37, 2006-05

「隠喩」(metaphora)は,非本来的な意味へと適応される語の転用である。たとえば,類から種への,種から類への,ある種から他の種への,あるいはまた,類比に即して〈kata to analogon〉の転用である」(アリストテレス『詩学』1457b 21)「わたしは口を開いて譬を語り,いにしえからの謎を語ろう」(旧約聖書『詩篇』78)「隠喩的なものは,形而上学の内部にのみ存する」(ハイデガー『根拠律』)「隠喩はしたがって,いつもその死を自分自身のうちに宿している。そしてその死はまた,疑いなく哲学の死でもある」(J・デリダ『哲学の余白』-白けた神話-)「エスのあったところで,自我は生成しなければならない」(フロイト『続・精神分析入門講義』第31講義-精神的人格の解体-)
著者
井口 正俊 Masatoshi IGUCHI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
国際文化論集 (ISSN:09130756)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.1-22, 2005-08

*「踊りにおいてだけ,至高なるものの比喩を語ることが出来ることを私は知っている,しかし今は,私の最も高貴なる比喩は語られずに,私の身に残り続けている!最高の希望は,語られもせず,救済されることもなく私の中に残存し続けていた!そして,私の青春の面影と慰めの言葉は私にとってすべて死んでしまった。……しかし,墓のあるところに,復活もまたあるのだ」(ニーチェ『ツァラトウストラはかく語りき』第二巻「墓の歌」)*「終末論の世俗化に代わっての終末論による世俗化」(H・ブルーメンベルク『近代の正統性』Ⅰ-4)*「誰が語っているか,あるいは誰が書いているかがもはやわからなくなるや,テクストは黙示録的になる」(J・デリダ『哲学における最近の黙示録的語調について』)