- 著者
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木鎌 耕一郎
- 出版者
- 八戸学院大学
- 雑誌
- 八戸学院大学紀要 (ISSN:21878102)
- 巻号頁・発行日
- no.49, pp.15-36, 2014-12-24
青森県とキリスト教の最初の出会いは、キリシタンの世紀後半であり、舞台は津軽である。そこには二つの局面がある。一つは、津軽藩を築いた津軽為信とその息子信建と信牧が、京都、大坂でキリスト教に触れ、為信は受洗に至らなかったが二人の息子が受洗したことである。もう一つは徳川家康の禁教令により、京都・大坂・加賀の士族信者が津軽に流刑となったことである。本稿では、二つの局面のうち、第一の津軽為信父子とキリスト教との接点に焦点を当て、中でも津軽為信がキリスト教に接近することになった「契機」と「動機」について考察する。前半である本稿(1)では、先行研究を検証し「動機」について考察を行う。Tamenobu Tsugaru is the first feudal lord of the Tsugaru clan. He met Society of Jesus propagator at the end of 16th century and accessed Christianity. His two sons were baptized. Most literature about them and Christianity wrote on the basis of The Japan Annual Report of Jesuit in 1596 and in1607. However, in these materials, it is not known for the "an opportunity" and "the motive" that Tamenobu became close Christianity. I clarified about these, inspecting some precedent studies.