- 著者
-
水野 直樹
- 出版者
- 京都大學人文科學研究所
- 雑誌
- 人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
- 巻号頁・発行日
- no.106, pp.205-238, 2015
特集 : 領事館警察の研究朝鮮の独立運動,共産主義運動が盛んな間島に置かれた領事館警察は,日本の外務省警察組織の中でも最大規模のものだった。朝鮮人の運動を取り締まるため,在間島の領事館警察と朝 鮮総督府司法当局とは,協力して朝鮮人活動家らを逮捕・裁判・投獄する仕組みをつくった。 間島の領事館警察が逮捕し,朝鮮の裁判所に被告を送るというシステムである。 このシステムによって処理された最大の事件が,1925年から1932年まで5回にわたる間島共産党事件であった。領事館警察と朝鮮総督府は,被疑者が多数に上ると,取り調べや司法処理 の方法,拘禁場所の確保などをめぐって,意見の食い違いを見せた。さらには,中国共産党に加入した朝鮮人への治安維持法適用の可否をめぐっても,両者は対立することになった。その ため,5回の間島共産党事件で間島領事館から朝鮮の京城に移送された767名のうち344名 (45%) が不起訴,免訴,無罪となった。 治安維持法適用問題に関しては,朝鮮総督府の司法当局が間島領事館の見解に合わせて,中国共産党員にも同法を適用するという拡大解釈をしたため,間島と朝鮮の当局の見解が一致することになったが,事件の処理をめぐる両者の対立,軋轢は解決しなかった。1932 年日本は満洲国を樹立し軍事支配を強めたが,それに対応する形で間島の領事館は,間島と朝鮮との間の司法共助システムを変更した。それは,被疑者を朝鮮総督府に移送せず,間島で予審にかけることとし,間島に近い清津地方法院の裁判に送る一方,共産党員を検挙時に殺害するという方 策であった。