著者
宮田 昌明
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.149-179, 2006-03

本稿は、一九二四年の加藤高明内閣の成立と幣原外交を、第一次世界大戦後の日本の政治的変化を日本の一等国化と内外の融和に向けた挑戦の過程として再検討することを目的としている。戦後の日本の政策は、日本の国際的地位の向上に対応し、国内政策と対外政策が連動しながら変化し、昭和初期の二大政党政治と協調外交をもたらした。本稿は、以下の三点に注目することで、以上の議論を展開している。 第一に、加藤高明は、外交官および憲政会の総裁として、イギリスを目標とする自由主義的な理想、すなわち、日本は一等国として国民それぞれが自立し、自らの責任を自覚する中で国民的義務を果たしていかなければならないという理想を持ち、そうした視点から加藤は、政府は国民に積極的に権利を付与することで、国民にその責任意識を持たせていく必要があると主張した。と同時に、加藤は第一次世界大戦中に外相として、中国に対し一等国としての日本の優越的地位を示すべく、高圧的な外交を展開していた。しかしこうした外交は、かえって英米や中国との関係を悪化させたとして、元老から批判されていた。 第二に、元老・西園寺公望は、原敬が暗殺された後、分裂に苦しむ政友会の再建を目標とし、高橋是清内閣総辞職後、政友会に首相の地位は与えなかったものの、政友会を与党として政権に参画させることで、その党内の統制と政権担当能力の回復を図ろうとした。加藤友三郎内閣は、そうした政友会を与党として始まったが、その後同内閣は、対外的にはワシントン条約によって規定された国際的義務を履行し、体内的には社会運動に対処し、政府に対する国民の支持を獲得するために、与党政友会以上に普通選挙の導入に積極的な姿勢を示した。対して政友会は、対照的に混乱を深めていった。そうした状況の下で一九二四年に政友会は分裂し、第十五回総選挙で普通選挙を公約に掲げた憲政会に敗北する。その結果、西園寺は加藤高明を後継の首相に指名した。それは西園寺が、当初持っていた政友会の再建という目標を、日本における政党政治の育成を図ろうとする意識に発展させ、政党政治を一等国に相応しい国内政治の在り方として受け入れたことを意味していた。 第三に、加藤高明内閣の幣原喜重郎外相もまた、上述のような国内の政治的変化に対応し、古い日本外交の在り方を一等国に相応しい外交の在り方に変化させようとした。一九二四年九月に第二次奉直戦争が勃発した際、幣原は張作霖への支援を要請する芳沢謙吉駐華公使に対し、内政不干渉の方針を徹底した。幣原は中国の政治的・経済的再建を目標とするワシントン条約の理念を意識し、中国政府に国際的責任意識を喚起させるため、国家主権独立の原則を積極的に適用しようとした。中国における国家意識の形成は、中国の政治的再建と日中関係の安定化の前提条件と考えられたからである。西園寺はこうした幣原外交を評価することで、加藤内閣全体に対する評価をも向上させ、続く昭和初期における二大政党政治の実現をもたらしていくのである。

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CiNii 論文 -  加藤高明内閣成立の底流と幣原外交--国際的自立と内外融和への挑戦 https://t.co/kjMJZYhrLZ #CiNii

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