- 著者
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丹羽 博之
Hiroyuki NIWA
- 出版者
- 大手前大学
- 雑誌
- 大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
- 巻号頁・発行日
- no.16, pp.55-68, 2015
『詩経』(終風)の「寤言不寐、願言則嚔」の詩句に対して、鄭玄箋には「今俗人嚔、則曰人道我、此古之遺語也」とある。古代中国では、嚔をすると他人が自分のことを言っているという俗信があったことを示している。その俗信は後世にも受け継がれていった。北宋蘇軾の「元日過丹陽明日立春寄魯元翰」詩に、白髪蒼顔誰肯記 白髪蒼顔 誰か肯へて記せん 暁来頻嚔為何人 暁来頻りに嚔す 何人の為ぞとあるほか、『嬾真子』巻三「俗説以人嚔噴為人説、此蓋古語也」(俗説人の嚔噴を以て、人説ふと為す。此れ蓋し古語也)等の例を見る。一方、日本でも、嚔をするときは誰かが噂をしているという俗信がある。用例を挙げると、艷二郎くしゃみをするたび、世間でおれが噂をするだろうとおもへども 黄表紙・江戸生艶気樺焼(1785)夏をよそに噂をすればか此ゆふべ薄夏といふてだれもはなひける〈三馬〉滑稽本・大千世界楽屋探(1817)下 日比のうさを語合、謗り咄しに渕右衛門、定めて嚔のうるさからんと、思ひやるさへおかしき人情本・明烏後正夢(1821~24)二・十二回等、江戸時代にまで遡れる。これらの江戸時代の俗信と中国の俗信との関係を考察する。一方、嚔は種々の俗信がある。「嚔を一つすれば褒められ、二つすれば憎まれ、三つすれば惚れられ、四つすれば風邪をひく」等とも言う。『万葉集』には、うち鼻ひ鼻をそひつる〔鼻乎曾嚔鶴〕剣太刀身に添ふ妹し思ひけらしも巻十一・二六三七番歌 の歌が収められているが、これは、前掲の嚔の俗信の「三つすれば惚れられ」に対応する。この他『徒然草』(四七)にも「くさめ」のまじないの話がある。『詩経』の嚔の俗信を中心に日本中国の嚔の迷信について考察した。