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投稿一覧(最新100件)
夫が毒が移行する危険を考えずナス科つながりで接木を試し、妻が成ったナスを食用にしてしまったという話
ふつう胃酸で溶ける食品中の骨が消化できない状態の人だと、魚の骨が肛門に刺さったりするらしい
子育てするミツボシツチカメムシは親同士が協力することも、預けっぱなしのタダ乗り親もいるという話
”アカイエカやシナハマダラカなどのイエカ属とハマダラカ属には誘引性を示すブラックライト紫外線が,ヒトスジシマカなどのヤブカ属に対してはそれほど効果が認められない”
”アカイエカやシナハマダラカなどのイエカ属とハマダラカ属には誘引性を示すブラックライト紫外線が,ヒトスジシマカなどのヤブカ属に対してはそれほど効果が認められない”
保育園児が作った手作り写真フレームに貝殻型パスタが使われてタバコシバンムシの発生源になった話(2006年)
保育園児が作った手作り写真フレームに貝殻型パスタが使われてタバコシバンムシの発生源になった話(2006年)
”エリサン(Samia riciniヤママユガ科)は味覚が鈍感であり、たとえ毒性や成長阻害活性を持つ植物でも与えれば良く摂食し、その植物に特有の反応を示すため、植物の毒性や成長阻害活性の検出に大変優れた昆虫である。”
「かつて日本中に講談本が溢れていた。娯楽として講談本に親しみ,講談本をとおして歴史に馴染み,教養を身につけ,時に啓発の材とした」 付録の講談人名表を見ていると、今の型月作品あたりはやがてこういう扱いに
「かつて日本中に講談本が溢れていた。娯楽として講談本に親しみ,講談本をとおして歴史に馴染み,教養を身につけ,時に啓発の材とした」 付録の講談人名表を見ていると、今の型月作品あたりはやがてこういう扱いに
「花芽形成時期に関係する環境条件を明記した論文は見つからなかった」
女袴は紐が斜めで安定していない、という喩えに使われたのが「相模で地層が斜めの崖に洋館を建てた人が、大雨の日に館ごと海の中へ」か…。いつどこで起きた事故なのか気になる話だ
女袴は紐が斜めで安定していない、という喩えに使われたのが「相模で地層が斜めの崖に洋館を建てた人が、大雨の日に館ごと海の中へ」か…。いつどこで起きた事故なのか気になる話だ
明治33年(1900年)のサンタクロース 「クリスマス万歳!」 「三太九郎万歳!」
ザリガニが駆除対象だけど美味しく食べられる扱いでもあった時代 https://t.co/uVGsg6IU60 画像はトラノコトラチャン
ザリガニが駆除対象だけど美味しく食べられる扱いでもあった時代 https://t.co/uVGsg6IU60 画像はトラノコトラチャン
@magpie_sendai こんなのがありますね。今の時期なら海にいるより楽そう "オオセグロカモメの水田におけるオタマジャクシ捕食について"
@magpie_sendai こんなのがありますね。今の時期なら海にいるより楽そう "オオセグロカモメの水田におけるオタマジャクシ捕食について"
”皇軍”と最初に言った人、荒木貞夫の竹槍話は1933年7月や1934年3月バーナード・ショーとの会見など。それに感激しちゃった人が、元寇の認識まで軍人に変えられたことが分かる文章。
”皇軍”と最初に言った人、荒木貞夫の竹槍話は1933年7月や1934年3月バーナード・ショーとの会見など。それに感激しちゃった人が、元寇の認識まで軍人に変えられたことが分かる文章。
@gryphonjapan 松永が滅びるのと並んで信長を扱ったものでは有名シーンだけに、作品も多くて読み比べがいがありそうですね。大正時代の初頭に「おとぎ話の残忍さは教育に良くない」論があるのでそこの前後がポイントにな
@gryphonjapan 松永が滅びるのと並んで信長を扱ったものでは有名シーンだけに、作品も多くて読み比べがいがありそうですね。大正時代の初頭に「おとぎ話の残忍さは教育に良くない」論があるのでそこの前後がポイントにな
@UCI_LAMNE 徳田秋成が「坪内逍遥が小説神髄で言ってた」なことを書いてるので1885年にはあるみたいですね
@UCI_LAMNE 徳田秋成が「坪内逍遥が小説神髄で言ってた」なことを書いてるので1885年にはあるみたいですね
背中に膝を入れる柔術の人工呼吸のひとつ「誘(さそい)活法(かっぽう)」描写、1894年
「所を一つズドンと当身の秘術、脆いもの、グウの音も出さずに番兵は倒れてしまった」「武頭はこう極めて気絶している番兵をグルグルと結へて」 1916年、ひみつの打撃技ATEMIで気絶描写
背中に膝を入れる柔術の人工呼吸のひとつ「誘(さそい)活法(かっぽう)」描写、1894年
「所を一つズドンと当身の秘術、脆いもの、グウの音も出さずに番兵は倒れてしまった」「武頭はこう極めて気絶している番兵をグルグルと結へて」 1916年、ひみつの打撃技ATEMIで気絶描写
@manboumuseum 画像では入れ忘れてましたがもひとつドゾー ディズニーランド. 1(3) 国立国会図書館限定 雑誌 (講談社, 1964-10) 目次:まんぼうにすくわれたしょうねん / 小山内宏 ; 岩田浩昌
@manboumuseum 画像では入れ忘れてましたがもひとつドゾー ディズニーランド. 1(3) 国立国会図書館限定 雑誌 (講談社, 1964-10) 目次:まんぼうにすくわれたしょうねん / 小山内宏 ; 岩田浩昌
消費動向からの”オタク”も分析してるのかもしてないけど、まったくダイジェストには書かれてないし調査結果は12万円なので気軽に確認もできない https://t.co/DGfbuS2aW2 2011年版なら図書館にも収蔵されてるようだ
消費動向からの”オタク”も分析してるのかもしてないけど、まったくダイジェストには書かれてないし調査結果は12万円なので気軽に確認もできない https://t.co/DGfbuS2aW2 2011年版なら図書館にも収蔵されてるようだ
1910年のパン作り本、付録にある菓子レシピ内容 カステーラ、味淋入りポンポン、デセール、カスタドープリン、マツフン、上等ビスケツト、上等カルメラ、上等アイスクリーム、麦落雁、村雨糖、飴、栗おこし、金玉糖、
1910年のパン作り本、付録にある菓子レシピ内容 カステーラ、味淋入りポンポン、デセール、カスタドープリン、マツフン、上等ビスケツト、上等カルメラ、上等アイスクリーム、麦落雁、村雨糖、飴、栗おこし、金玉糖、
「ところが やさしい おばあさん、 ほんとは おばけの おにばばで、 ふたりの こどもを ふとらせて、 おいしく なったら たべようと、 こころで おもって おりました。」
「ところが やさしい おばあさん、 ほんとは おばけの おにばばで、 ふたりの こどもを ふとらせて、 おいしく なったら たべようと、 こころで おもって おりました。」
サツマイモから飴を作るときに行う糖化。麦芽を使ったり、60℃台数時間でサツマイモ自体の酵素を使う方法などがあるけど「コウジカビを生やして乾かし粉にして」からのは初めて見た気がする。1887年の節約術関係の本。
サツマイモから飴を作るときに行う糖化。麦芽を使ったり、60℃台数時間でサツマイモ自体の酵素を使う方法などがあるけど「コウジカビを生やして乾かし粉にして」からのは初めて見た気がする。1887年の節約術関係の本。
もやしを軍と日本人に普及させた丸本彰造。その著作を眺めてたら、昭和12年に小石川で日本人が食べていた献立(もちろん不健康な例)が出てた。
もやしを軍と日本人に普及させた丸本彰造。その著作を眺めてたら、昭和12年に小石川で日本人が食べていた献立(もちろん不健康な例)が出てた。
[shogi][将棋]
”「横歩三年の患ひ」などと申す諺がありましてややもすると横歩をとつた為めに飛車が立ち往生するやうな場合ができますので軽卒の考へでは横歩は取れません。” 大正9年
[shogi][将棋]
”「横歩三年の患ひ」などと申す諺がありましてややもすると横歩をとつた為めに飛車が立ち往生するやうな場合ができますので軽卒の考へでは横歩は取れません。” 大正9年
[shogi][将棋]
”「横歩三年の患ひ」などと申す諺がありましてややもすると横歩をとつた為めに飛車が立ち往生するやうな場合ができますので軽卒の考へでは横歩は取れません。” 大正9年
セーラー服の歴史 1920年代から https://t.co/STqFSQ6TVu 1926年には2種類が「誰にでも手縫で出来る男女小供洋服図解」で紹介
学校指定のセーラー服、歴史 https://t.co/STqFSQ6TVu https://t.co/EFAxGgTDPA 1926年の本。「普通女学生服」と「セーラー服」の過渡期
セーラー服の歴史 1920年代から https://t.co/STqFSQ6TVu 1926年には2種類が「誰にでも手縫で出来る男女小供洋服図解」で紹介
セーラー服の歴史 1920年代から https://t.co/STqFSQ6TVu 1926年には2種類が「誰にでも手縫で出来る男女小供洋服図解」で紹介
学校指定のセーラー服、歴史 https://t.co/STqFSQ6TVu https://t.co/EFAxGgTDPA 1926年の本。「普通女学生服」と「セーラー服」の過渡期
鳩山由紀夫のコラム。大相撲で横綱の人数が増えると被害を受けるのは小結~前頭4まで、1979年に35人いた7勝7敗力士は28人勝った、など。プロ野球は7回終了でも勝敗はほぼ変わらず、9回までやるのは観客の満足感のためと
日本でのアラブ馬。ヴァリニャーノが聚楽第で秀吉と会見(1591)したときの贈り物だった一頭は、日本の馬が仔馬に見えるほど大きく人々は驚いた。秀吉も気に入った(ルイス・フロイスが報告)。p.34, p.42
日本でのアラブ馬。ヴァリニャーノが聚楽第で秀吉と会見(1591)したときの贈り物だった一頭は、日本の馬が仔馬に見えるほど大きく人々は驚いた。秀吉も気に入った(ルイス・フロイスが報告)。p.34, p.42
日本でのアラブ馬。ヴァリニャーノが聚楽第で秀吉と会見(1591)したときの贈り物だった一頭は、日本の馬が仔馬に見えるほど大きく人々は驚いた。秀吉も気に入った(ルイス・フロイスが報告)。p.34, p.42
日本でのアラブ馬。ヴァリニャーノが聚楽第で秀吉と会見(1591)したときの贈り物だった一頭は、日本の馬が仔馬に見えるほど大きく人々は驚いた。秀吉も気に入った(ルイス・フロイスが報告)。p.34, p.42
日本でのアラブ馬。ヴァリニャーノが聚楽第で秀吉と会見(1591)したときの贈り物だった一頭は、日本の馬が仔馬に見えるほど大きく人々は驚いた。秀吉も気に入った(ルイス・フロイスが報告)。p.34, p.42
日本でのアラブ馬。ヴァリニャーノが聚楽第で秀吉と会見(1591)したときの贈り物だった一頭は、日本の馬が仔馬に見えるほど大きく人々は驚いた。秀吉も気に入った(ルイス・フロイスが報告)。p.34, p.42
「夏目漱石の『I love you=月が青い/きれい』説」、1955年と1956年の『世界史こぼれ話』2冊には存在せず。 (2004, 大塚明子)が出典:佐藤健志『未来喪失』とありますが、該当ページ不明で書中に発見できませんでした
「夏目漱石の『I love you=月が青い/きれい』説」、1955年と1956年の『世界史こぼれ話』2冊には存在せず。 (2004, 大塚明子)が出典:佐藤健志『未来喪失』とありますが、該当ページ不明で書中に発見できませんでした
「月が青いから」https://t.co/zeF2yKQgpt 「今夜は月が青いから」https://t.co/aLFvMOpAxD 「月がとっても青いから」 夏目漱石はともかく、1955年頃までに歌のタイトルとして定着している
「月が青いから」https://t.co/zeF2yKQgpt 「今夜は月が青いから」https://t.co/aLFvMOpAxD 「月がとっても青いから」 夏目漱石はともかく、1955年頃までに歌のタイトルとして定着している
明治時代の帝國ホテル。電話番号(交換手に告げる番号)は新橋、222
明治時代の帝國ホテル。電話番号(交換手に告げる番号)は新橋、222
明治時代の帝國ホテル。電話番号(交換手に告げる番号)は新橋、222
オリンピック東京大会 : 三億円の金が落ちる、何をして諸けるか(1936年) もくじ見てるだけでも面白い
オリンピック東京大会 : 三億円の金が落ちる、何をして諸けるか(1936年) もくじ見てるだけでも面白い
オリンピック東京大会 : 三億円の金が落ちる、何をして諸けるか(1936年) もくじ見てるだけでも面白い
”世に定評がある「味の素」” ”家庭の調味料として最も宜しいのと同時に進物に之を用ふるのは最も当世風で気の利いたものである” 三府及近郊名所名物案内、大正10年(1921)
”世に定評がある「味の素」” ”家庭の調味料として最も宜しいのと同時に進物に之を用ふるのは最も当世風で気の利いたものである” 三府及近郊名所名物案内、大正10年(1921)
”世に定評がある「味の素」” ”家庭の調味料として最も宜しいのと同時に進物に之を用ふるのは最も当世風で気の利いたものである” 三府及近郊名所名物案内、大正10年(1921)
騎乗位は事故りやすい https://t.co/RQLy0jPqD4 論文。 日本の折れる例を見たら、3例が朝勃ち時に曲げてしまう、2例が朝勃ち中に子供のダイブ、1例が柔道で打撲。 性交時や自慰時も表にあるのに事例がこれとは…。
「稲むらの火」元ネタ。 流れ着いた梧陵は前日も避難所に使った神社に行き、自分の無事を全員に伝えながら家族に会いに行く。ここで日が暮れて暗くなる。明かりを携えた10数人を率いて救助活動し、道端の稲むらに点火
「稲むらの火」元ネタ。 梧陵は隣村と交渉して避難所建設。津波が再来するという噂話や火事場泥棒や余震のたびに逃げてしまう自警団などに困りながら、役人との交渉などもやった。 権力財力あるだけじゃなく、とてつ
「稲むらの火」元ネタ。 前日の午前10時にも安政東海地震があって、濱口梧陵は津波を警戒し神社に人を避難させ、自警団を海面の監視と空き巣の防止のため巡回させ、避難民に粥を配った。翌日午前中は帰宅した村人たち
「稲むらの火」元ネタ。 流れ着いた梧陵は前日も避難所に使った神社に行き、自分の無事を全員に伝えながら家族に会いに行く。ここで日が暮れて暗くなる。明かりを携えた10数人を率いて救助活動し、道端の稲むらに点火
「稲むらの火」元ネタ。 梧陵は隣村と交渉して避難所建設。津波が再来するという噂話や火事場泥棒や余震のたびに逃げてしまう自警団などに困りながら、役人との交渉などもやった。 権力財力あるだけじゃなく、とてつ
「稲むらの火」元ネタ。 前日の午前10時にも安政東海地震があって、濱口梧陵は津波を警戒し神社に人を避難させ、自警団を海面の監視と空き巣の防止のため巡回させ、避難民に粥を配った。翌日午前中は帰宅した村人たち