- 著者
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権 東祐
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- vol.56, pp.7-32, 2017-10
本稿は、富士山が信仰の場とされながらも、各々異なる祭神が形成され、変貌してきたことを〈神話解釈史〉という視座から考察することを目的とする。 〈神話解釈史〉とは、「中世日本紀」や「中世神話論」を継承しつつも、従来の「古代神話」のように架空の時代を形成しそれに固定することを否定し、神話解釈がどのように新たな歴史を創造してきたかを考えるものである。とくに、「近代主義」によって構築された歴史観念を離れ、神話を解釈・創造する過程こそが新たな歴史を作るという視点から神話と歴史の概念を改める作業である。 このような発想は、磯前順一の主張した「記紀神話」は「どう読まれたか」という「記紀解釈史」と類似している。しかし、磯前は神話が歴史上でどのように解釈されてきたかを考える「神話の解釈史」にとどまっている。対して、神話解釈がどのように歴史を叙述してきたかを考える「神話解釈の歴史」の発想は、斎藤英喜によって提示されており、本稿はそれを積極的に継承しつつ、〈神話解釈史〉という方法の可能性をより広げていきたい。 そこで、本稿では従来の神話研究者が主に『古事記』や『日本書紀』を中心とする神話研究を展開してきたこと、また、神話解釈への関心も「中世の『日本書紀』と「近世の『古事記』」に集中してきたことに対し、それとは異質的な「富士信仰」を中心としてその祭神の変貌を考えてみた。 「浅間の神」から「浅間大菩薩」そして「コノハナサクヤヒメ」を経て「天御中主神」に展開していく富士信仰における神格変貌は、従来の日本神話研究の枠組からは読み取れなかった新鮮な神話世界の一面を見せてくれるだろう。