大谷正幸(録誌斎) (@64sai)

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ちゃんとした論文は、大谷正幸「失われた浅間社の痕跡 城郭と富士塚地名から富士信仰文化圏へ」(宗教研究』400号、2021年)をご参照ください。 https://t.co/8ynUyoNLO7
@chiba_chizu 稲毛浅間にそのような痕跡が考古的に出てくるといいのかなと思います。 ところで、もし「城と浅間社」に関心を持たれましたら、拙論「失われた浅間社の痕跡」(『宗教研究』400号、2021年)をご参照いただければ幸いです。 https://t.co/YHYtwOQrzP
高楠と『善見律毘婆沙』(samantapāsādikā)の組み合わせなら、PTSの校訂本のことではないかな。結構大部だし。 https://t.co/UDrDIpuVJM https://t.co/MIeAN9K8pq

4 0 0 0 郷土会記録

ストアカの質疑応答で中山太郎(丙子)の「富士講の話」(『郷土研究』第2巻第8-9,12号)が出てきた。NDLの個人向けデジタル化資料送信サービス(個人送信)で読むことができる。 https://t.co/H12F99mZkp ここで説かれる「富士講」の習俗は栃木群馬のもので、都内のそれと比較すると面白い。
吉田の火祭りを知るには『吉田の火祭』がおススメ。 https://t.co/oxOh6SVIYq #fujiyamaniac

4 0 0 0 OA [古暦帖]

元禄五年七月朔日はやはり天赦日のようだ。ただ、富士詣のシーズンは六月で、同十六日にも天赦日だったようだけど、その日には間に合わなかったのかなあ。 いずれにせよ、暦というか陰陽道というか、そういう吉凶を気にして浅間本地像を建てた例は興味深いね。 https://t.co/UGsRZdjwfI https://t.co/sxVLiR3nmb https://t.co/MmISWIpZPW
一枚目のはNDLの写本(巻26)。本人の自筆かな?https://t.co/4scIuXXT6R
RT @64sai: @Gallery_Tenjiku https://t.co/R3NYOcZhbh 國學院大、こういう研究をしていて内容は期待していいと思います。ただ、場所あまり広くないので…。
@Gallery_Tenjiku https://t.co/R3NYOcZhbh 國學院大、こういう研究をしていて内容は期待していいと思います。ただ、場所あまり広くないので…。

5 0 0 0 OA 三国伝記

『三国伝記』という室町期の説話集に「富士山の事」(巻12)という一節がある。文中、大日如来が「法界有情の心胎の中に大日如来の大悲胎蔵を開発す」とある。https://t.co/QVTNsTFOyL 母胎の内に仏菩薩が胎児を養育するという話は近世初期の通俗仏教書に出てくるが、この頃にはあったわけだ。 https://t.co/ss73GIw2sx
@hensan_jozan 宮家先生の「中世における修験の思想」によれば、十五世紀末に成立したであろう『修験三十三通記』という教義書に「宝冠論」という切紙があるそうだから、その頃には既にあったわけだ。 https://t.co/Ru2w4X15vc

1 0 0 0 地方史研究

2号が1991年ということでNCのデータ https://t.co/98tzLEEHWO も刊行頻度不明、9号以降はNDLで見られ、それ以前となると横市大か明治に所蔵があるけれど両者とも学外者は今のところ利用できない、と。

1 0 0 0 OA 房総富士塚考

https://t.co/HKHfIhcNJ1 DL元はこちら。富士塚の写真が全部シルエットになってしまっている(笑)。こういうの見返したりしないのかね?

10 0 0 0 OA 信仰叢書

@katsuwonus516 他にも丸藤講(藤四郎を祖と仰ぐセクトです)のものとして『富士講唱文独見秘書』というのがあって、勤行教典の末尾にしれっと権威ありげに独特の(丸藤講だけ持ち上げるような)教義書を混ぜ込んだりということが確認できます。この手の話は他にもあったかもしれません。 https://t.co/zrj64vvcP3
@katsuwonus516 はじめまして。 『百家琦行伝』はこちらで見られますのでよろしかったら。https://t.co/o19AeEC2pb 天保年間ですと富士講はだいぶ普及していて、いろんな言説が藤四郎の名で造られたことが想像されます。当時の富士講ではこう主張していた、という話として読む分にはよいのかなと思います。

16 0 0 0 OA 〔江戸切絵図〕

幕末の切絵図だが、不二権現と六郷家の大体の位置関係がわかる。庭の中にあったものを細小路に開いて一般も参詣できるようにしたという。なので5/末-6/1の祭日には足軽が数十人、六郷家の裏門で警護し、水など参詣者にふるまっていたらしい。 https://t.co/nJDTyCO2Fg https://t.co/qexHEXX2bl
詳細は拙論「失われた浅間社の痕跡 城郭と富士塚地名から富士信仰文化圏へ」(『宗教研究』400、2021)にてどうぞ。 https://t.co/IPjNcAFZlR

30 0 0 0 OA 国史大系

日本紀略の承平7年の記事を見つけた。あれ、これだけ?#fujiyamaniac https://t.co/Gj1j49yaSS https://t.co/ZR7LI8sJW4
同じ穴の狢を神道の面汚しとか罵る殺伐さを水に流すような論文を見つけたので紹介する。 日本福祉大学知多半島総合研究所の『知多半島の歴史と現在』24号(2020)所収の津田豊彦「横田家文書「三つ山道中記」」。 https://t.co/BuyHpCbIQQ 三禅定の記録としてもしかしてとても古いかもという史料の翻刻。

1 0 0 0 知恩院特集

図書データとして特集号のタイトルで雑誌に対して書誌を作ってしまった例で、正直、削除予定にしてもらったほうがいい気すらする。BAナンバーだからかなり古い。 https://t.co/Ky59tkB34k 雑誌データでは、46号を持っているところはそこそこあるのでこちらを見ましょう。 https://t.co/wFA2BzUWj5 https://t.co/bFvdyT0JzY
図書データとして特集号のタイトルで雑誌に対して書誌を作ってしまった例で、正直、削除予定にしてもらったほうがいい気すらする。BAナンバーだからかなり古い。 https://t.co/Ky59tkB34k 雑誌データでは、46号を持っているところはそこそこあるのでこちらを見ましょう。 https://t.co/wFA2BzUWj5 https://t.co/bFvdyT0JzY
ただまあ、銭4200文ったら銅の塊が、仮に一文銭4200枚、https://t.co/imAgJUfqDl から一枚あたり平均3.6gとして15120gになる。 いやあ、15キロの銅塊を一人で持って富士山登るとか普通に苦行だよ。四文銭なら仮に重さそのままとして、3780gで約4キロだ。それでも重いよなあ。

63 0 0 0 OA 和漢三才図会

@yappata2 『和漢三才図会』巻49 「人以為山神所愛故詣富士人或寅歳生人不可食鰶」 https://t.co/fQoW5mEXxx 同じ趣旨の文章は『本朝食鑑』鱗部之2にもありますが、デジタルで今お見せできるものは見当たらないですね。
八国山って行ったことないのですけど、『新編武蔵風土記稿』久米村の項https://t.co/aDddfAJxFjに、山の上に塚があって将軍塚とも富士塚とも呼ばれていると。古墳ともいわれているけどようわからんとも(そういわれる時は大抵あやしい)。かつてあったという浅間社が残ってたらよかったのですが…。 https://t.co/TloIbJCkKk

1 0 0 0 OA 不尽道別

柴田花守の字は、私には「達筆すぎて読めない」部類に入る。読みやすい人には読みやすいのかも。 例えば徳大寺莞爾『不尽道別』の序文なんかだとルビとして漢字をふっちゃうレベルである。典拠はNDL所蔵本。https://t.co/0WiVnIbOsZ 25年前に翻刻した時はえらい苦労した。https://t.co/yqi71A0EkU https://t.co/yqPY54NpM7
論集に含まれている論文は、図書の書誌情報の中で書き方があって、そこで再現される(が、大抵は時間と手間の関係で行われない)。 たとえば、『郷土史と近代日本』(角川学芸出版、2010)という論集がある。Cinii Booksのデータはこうなっているが、 https://t.co/aRxxEIAKQA →

4 0 0 0 OA 群書類従

なぜ義楚六帖と富士山記を出してきたかというと、教伝弁解に引用されているのだけど、全く句読点が打たれていないため、引用文とはいえどこで打ったらいいのかわからなかったから。まあ、群書本の富士山記は木版まで遡るとやっぱり句読点が無いんだけど。https://t.co/kJ0A0I2QxH https://t.co/AX8YqssXIm

7 0 0 0 OA 群書類従

『富士山記』もあるでよ。NDLのデジタルコレクション、経済雑誌社版『群書類従』文筆部。 https://t.co/iflcaNsum4 https://t.co/JwTZExXYpV
『東都歳時記』巻2六月朔日より「富士参前日より群集す」。原文の影印は、https://t.co/lV5uYfHIY0 。 今でいう富士塚を列挙しているのだが、この話に「富士塚」は出てこない。あくまでも「富士浅間」に「富士をつくる事近世の流行なり」としている点に注意されたい。富士塚である前に浅間社なんだよ。 https://t.co/at4p1b132g
『江戸名所図会』の画像は国立国会図書館デジタルコレクションから。 https://t.co/4rFYs1Gjsd

2 0 0 0 OA 教伝弁解

ツイッター上では富士講だ富士塚だ富士垢離だと言ってるが、先月からずっと取り組んでいるのは、それらと全く関係ない丸山教会の『教伝弁解』というテキストである。 これ、版本だが句読点も段落も無いので読みにくすぎる。というわけでNDLの影印からワードに起こしている。 https://t.co/SQKvLzhFwp

3 0 0 0 OA 尾張名所図会

やっちまったな。 その塚に立ってる碑の銘文(天和2年1682)に、「富士塚」って既に書いてあるんだよ。『尾張名所図会』巻6に塚の記事があるから読むんだぞ…。 https://t.co/w8XzFM9qRg https://t.co/FDfPbBxUWJ https://t.co/gUdqiY1bwA
@e_ikuon 『新編武蔵風土記稿』巻203にると、西新井宿村には浅間社があったという。https://t.co/RvR5pKeAPR たぶんこれのことではないか。ただ、どこへ祀り替えられたのかはわからない。新しい紙のお札が立てられてはいたが…。この小山、おそらく隣の家の敷地ではないかな。
フォントが四割いったので、先日の「菟足神社所蔵熱田信仰史資料調査報告」について書いてみる。 PDFは→https://t.co/X83sppfpkR

159 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

@wakeneko2005 先輩先輩、図書館行かなくてもインターネットで見られますよ。 https://t.co/RbrFxFHg0U
宮崎さんの新作論文が素晴らしい。もはや伝統芸能の域に達していると言っていい。ああいう、富士信仰に(ありもしない)フェミニズムを見る研究は彼女が最初で最後になり、あとはそのエピゴーネンが量産されるだろう。 https://t.co/pnL36RROXG

1 0 0 0 OA 甲斐国志

【備忘】『甲斐国志』「富士山」の項は、山川部第16上、第35巻にある。 いちいち探すのが面倒で仕方ない。 https://t.co/mqY5xXsNe1
@kusanomido ご指摘の論文が「神話解釈史から見る富士山の祭神変貌論」https://t.co/lUWxzwsGfs のことでしたら、穴だらけなので参照されないほうがよいかと。『富士の歴史』はgoogle booksになく、NDLデジタルコレクションは「図書館送信参加館内公開」ですね。
https://t.co/cTjRBNite2 空海は文字や単語(悉曇)はいじっても文章まではわからなかった。そりゃ悉曇には名詞の性数格もシンタクスも無いしなあ。 https://t.co/rVnwKsFKD1

6 0 0 0 OA 群書類従

@wakeneko2005 https://t.co/gARCQ0y6QE
山形隆司「近世の尾張国知多郡における富士信仰 : 小鈴谷村を中心に」(『知多半島の歴史と現在』18号、2014』)という論文( https://t.co/7oCjNSDDzW )があって、これは小鈴谷村(現愛知県常滑市)の富士講の様子について述べている。こっちの富士講は三山禅定をやるのだけど、

4 0 0 0 OA 甲斐国志

『甲斐国志』巻71、神社部第17上に小御嶽の由来がある。https://t.co/jNnVunLeDK https://t.co/k8YrGBIuwU
以下ソース。https://t.co/5K3wklHfYI
https://t.co/rKBocuq9AB "a fact usually neglected in other studies on this popular cult" むしろ富士信仰の文脈で弁天とりあげる方がどうかしてるわ。
@64sai この恵比寿さんはカップルで関東人には見慣れないのだが、@Imakov さんが見つけてくれた論文 https://t.co/lYfnuCAbdB によると福岡の神社のものらしい。さらに花守に『恵比寿大神考』なる著作まであるという。

3 0 0 0 OA 富士山大観

@64sai https://t.co/7QUBd165UF この辺りは『富士山大観』だけではなく、傍証をもっと探してこなくてはいけないが、遠藤秀男『富士山の洞穴探検』(緑星社、1983)では『駿河記』を引いて「底は冷水膝に及ぶ」とある。
@wakeneko2005 最近ではこんなものを作って公開してますから、参考になれば幸いです。 http://t.co/3L2cdC0vHe
@wakeneko2005 マイクロ資料の保存については、前いた職場でも上司たちが調査研究してたものです。 「日本の図書館におけるマイクロフィルムの保存の現状 : 質問紙による大学図書館と都道府県立図書館の悉皆調査から」 http://t.co/YPXJ4cottx

1 0 0 0 OA 不尽道別

@64sai 当たってみると、本文5丁オに確かにそういう表記がある。http://t.co/2RYBwDMaAB 『不尽道別』は明治8年刊行なので、その頃にはあった表現ということになろうか。
@strangerose23 「吉田御師・田辺近江が開発した新しい富士信仰 : 東北大学附属図書館所蔵『扶桑国御祭免し』の史料紹介を兼ねて」 http://t.co/3kKN6kNzBv
そういや、東京大学のUTリポジトリに前々年度の論文「吉田御師・田辺近江が開発した新しい富士信仰」が掲載されました。 http://t.co/JSCzJ5QuVM 富士講アーカイブでも同じものを掲載しています。http://t.co/pglqiZAIww
@sakuya_mio524 リンク先はいずれも私のHP「富士講アーカイブ」にあるリポジトリ http://t.co/BPhdwvJJxQ においてあるものです。後者はciniiという国でやっている論文を集めたサイトにもあります(http://t.co/DTVo229TM8)。
@daizabu3 長文のお目汚し、失礼いたしました。手前味噌ですが、食行については拙稿「富士行者・食行身禄は本当に「ミロク」だったのか」http://t.co/DTVo229TM8 また拙著『富士講の祖・食行身禄伝』(岩田書院、2013)をご参照ください。
@kazu0122 正直なところ安くないので、図書館で求められるとよいでしょう。思想的なものですと、論文でよいのなら、拙稿「富士行者・食行身禄は本当に「ミロク」だったのか」(宗教研究83巻3号、2009)http://t.co/mHc0IOhGbOでしょうか。
@kousyou 自分の書いたもので食行の思想面については、今のところ「富士行者・食行身禄は本当に「ミロク」だったのか」(『宗教研究』362、2009) http://t.co/DTVo229TM8 が最新です。手っ取り早く食行について知るにはよいかと。
もう何年も前から批判はしてるし(http://t.co/DTVo229TM8)、来月だす本でも批判はしているのだが…、研究の世界はなかなか江湖に知られていない。うーむ。
近世の地誌「新編武蔵風土記稿」はどうか。河越城下志多町、東明寺の項(巻162、http://t.co/AfckJQtjuM 38コマ目)によれば、「稲荷諏訪天満宮三社」として、扇谷上杉氏の家臣・難波田憲重が落ちた井戸を埋めて塚を作り、

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「パワースポット」ブームについては、ブームの最中でちょっと書いたことがあって、CiNii「パワースポット」検索でも引っかかるのですが、なかなか参照されることはないですよね…。オープンアクセスでないと、なかったことにされるのかしら。 https://t.co/JPaLHDRT7T
拙稿「愛媛玉串料訴訟の宗教–社会史―戦後政教分離訴訟の画期・再考― 」『宗教と社会』25号(2019年)が、完全オープンアクセスになりました!超重要判例を、その前後関係・背景まで含めて論じ、戦後宗教史上に位置付け、宗教概念を考えたものです。御高覧願います! https://t.co/UwTWW2qwN4
【論文刊行】塚田穂高「戦後日本における 「宗教右派」「宗教右翼」 概念の形成と展開」が、『上越教育大学研究紀要』40-1に掲載されました。こちらからダウンロードできます。本論文は「概念」についてです。実態研究は並行して進めています。御高覧いただければ幸いです。 https://t.co/RxNhq6D3zk

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