- 著者
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朴 光駿
- 出版者
- 佛教大学社会福祉学部
- 雑誌
- 社会福祉学部論集 = Journal of the Faculty of Social Welfare (ISSN:13493922)
- 巻号頁・発行日
- no.14, pp.133-152, 2018-03
本研究の目的は,朝鮮王朝の防貧・救貧制度である倉制度(還穀制度)が大規模化したことの説明を思想的観点から試みることである。倉制度は中国の産物であり法家的制度であったが,それを輸入した朝鮮王朝ではそれを全くの儒家的制度として解釈しており,それがその大規模化の一因をなしたことを明確にしたい。法家思想においても倉制度の目的の1つは飢饉の際に貯蔵穀をもって貧民を救済することにあったが,米価格の変動から農民の生活を安定化すること,勤勉で自立した農民を養成することがより重要な目的であった。ところが,儒家の影響がほぼ絶対的であった朝鮮王朝では,還穀はもっぱら国王の仁政を実現する手段として捉え,ほぼ全人民への穀物提供が日常化された。また,本研究は,還穀制度が大規模に実施されたことが,朝鮮社会の貧困観,民衆の貧困に対する態度,そして全体としての社会経済システムにどのような影響を与えたのかについても検討する。本研究は基本的には文献研究であるが,韓国で倉制度を専門的に研究してきた歴史学者からのヒアリング,そして韓国歴史研究会での研究報告と意見聴取などの研究方法を併用した。朝鮮王朝救貧政策倉制度環穀制度法家思想