- 著者
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尼川 創二
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学文学部内)
- 雑誌
- 史林 (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.58, no.2, pp.p245-288, 1975-03
個人情報保護のため削除部分あり一九二一年三月のロシア共産党第一〇回大会は、食糧割当徴発を食糧税に代え、さらに地方的規模での自由な取引を容認して、いわゆる「戦時共産主義」からネップへの転換を定めた。だが、この食糧税導入の措置は、あらかじめ重要議案として上程されたものでもなければ、綿密な討議を経て採択されたものでもなかったのである。税導入の決定は、なぜこのようなかたちをとらなければならなかったのであろうか。この問題は、「戦時共産主義」の問題と密接に関連しているように思われる。通説では、「戦時共産主義」は、戦争と経済崩壊によって余儀なくされた一時的措置、正常な路線からの逸脱であるとされ、「共産主義への直接的移行の試み」の側面は一部の「夢想家」の所為に帰される。しかし、これによっては、「戦時共産主義」の背後にあった意図や願望を正しく捉えることはできないであろう。共産党は「戦時共産主義」を通じて社会主義建設を企てていたのであり、ネップの端緒である、税と地方的自由取引の容認でさえ、少なからぬ困難を伴ったのである。