著者
尼川 創二
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.p575-618, 1988-07

ソ連史学はメンシェヴィキ党を「小ブルジョア政党」と見なしている。しかし、メンシェヴィキ党は、何よりも労働者階級の利益を重要視した党であった。一〇月革命後、マールトフの率いるメンシェヴィキ党が新体制内の合法的反対党の道を選択したのも、ボリシェヴィキ党=ロシア共産党の背後にロシアの労働者階級が実在していると見たからであった。メンシェヴィキ党は、ソヴィエト内部で労働者の支持を集め、彼らの圧力によって、ソヴィエト政権を「正常な道」へ向けようとした。ソ連史学は、メンシェヴィキ党が大衆の利益を裏切り、大衆の支持を失って自滅したのだと主張しているが、実際には同党は共産党の強硬な諸政策に不満を抱く労働者大衆の支持を再度獲得しつつあったのであり、それゆえにこそ、しばしぼ共産党側から弾圧を受けたのである。一九二一年春、「戦時共産主義」の破綻と大衆の反乱に直面した共産党政権は、メンシェヴィキ党を危険視し、強力な弾圧を加え、崩壊させた。共産党政権は残ったが、かつて共産党が鼓吹していた「ソヴィエト民主主義」は著しくその実質を失ったといえるであろう。
著者
尼川 創二
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.p245-288, 1975-03

個人情報保護のため削除部分あり一九二一年三月のロシア共産党第一〇回大会は、食糧割当徴発を食糧税に代え、さらに地方的規模での自由な取引を容認して、いわゆる「戦時共産主義」からネップへの転換を定めた。だが、この食糧税導入の措置は、あらかじめ重要議案として上程されたものでもなければ、綿密な討議を経て採択されたものでもなかったのである。税導入の決定は、なぜこのようなかたちをとらなければならなかったのであろうか。この問題は、「戦時共産主義」の問題と密接に関連しているように思われる。通説では、「戦時共産主義」は、戦争と経済崩壊によって余儀なくされた一時的措置、正常な路線からの逸脱であるとされ、「共産主義への直接的移行の試み」の側面は一部の「夢想家」の所為に帰される。しかし、これによっては、「戦時共産主義」の背後にあった意図や願望を正しく捉えることはできないであろう。共産党は「戦時共産主義」を通じて社会主義建設を企てていたのであり、ネップの端緒である、税と地方的自由取引の容認でさえ、少なからぬ困難を伴ったのである。