著者
小泉 洋
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.73, no.3, pp.p390-420, 1990-05

個人情報保護のため削除部分あり社会大衆党は麻生久書記長ら本部主流派主導の下、しだいに国家社会主義色を強め、日中戦争が始まると、戦時体腔推進に尽力するに至った。しかし、その国家社会主義化は、党全体に一律に受容されたのではなかった。本稿は最大の地方勢力である大阪府連合会を中心に、本部方針との異同を、一九三三年の「転換期建設政策」、三四年の陸軍パンフレット評価、三六年の二・二六事件観及び人民戦線を中心に明示し、その受容が、党勢不振、有力支持労働団体の右傾化、地方議会の経験による主張の「現実化」、弾圧といった背景の下に行われた点を指摘する。さらに党の小市民的要素の拡大が、三五年以降一挙に党勢を伸張させる一要因になった反面、国家社会主義的本部方針の受容を容易にした点を、三名の小市民層党員の特徴を例に明らかにする。

言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (1 users, 1 posts, 0 favorites)

こんな論文どうですか? 社会大衆党の国家社会主義的画一化と小市民--大阪府連合会を中心に(小泉 洋),1990 https://t.co/h8BNIEMy4V 個人情報保護のため削除部分あり社会大衆党は麻生久書記長ら本部主流派主導の下、しだいに国家…

収集済み URL リスト