- 著者
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箱田 恵子
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学文学部内)
- 雑誌
- 史林 (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.88, no.2, pp.233-258, 2005-03
一八八六年の「ビルマ・チベット協定」では、ビルマ人の北京への貢使派遣の継続と、英国のビルマ統治とが英国・清朝それぞれによって承認された。一九世紀中国を取り巻く国際環境の変容を、近代条約体制による伝統朝貢体制への挑戦・優越と捉える研究史の文脈からすれば特異な性格を持つこの協定に対し、従来の研究は朝貢という儀礼に限定される中華的宗属関係の特質から説明を行ってきた。つまり、名義上の宗属関係を追求する清朝に対し、英国はハートの建議を入れて「虚名を譲って実利をと」ったと。しかし、このハートの提案が実はマカートニーと李鴻章への対抗策として作成されたという事実は見過ごされている。また、駐英公使曾紀澤と中国本国との外交方針を「積極」と「消極」・「実利」と「虚名」として対比する分析粋組みが一般的だが、実はこうした清末中国外交をめぐるイメージは、ハートやオコナーあるいは李鴻章という双方の交渉担当者が、各々交渉を有利に進めるために強調したものであり、その背景には、中国西南辺境地域の現状を維持したいが十分な統治能力に欠ける清朝の現実があった。つまり、「虚名(朝貢) 」と「実利(ビルマ併合) 」との取引が前面にでる背後で、雲南―ビルマ間の国境・通商という重大問題においては、現状維持を認める妥協が、李鴻章とオコナーを中心に図られたのである。