- 著者
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杉山 雅樹
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学文学部内)
- 雑誌
- 史林 (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.89, no.5, pp.714-742, 2006-09
イル・ハーン朝末期、ヤズドの支配権を授与されたムザッファル朝の創始者 Mubariz al-Din Muhammad は、Abu Sa id 死後の混乱期において、ヤズドの有力者であるニザーム家に関わる人々を経済的保護によって優遇し、ケルマーン地方進出以降には、ウラマーの側も積極的に王朝の支配を支持する姿勢をとるようになる。こうして Mubariz al-Din は徐々に支配に対する都市住民の支持を獲得したが、シーラーズ征服後、さらなる遠征を前にして、新たに支配領域に組み込んだファールス地方に対し、これまで以上に支配者としての立場を明確にする必要に迫られた。このため、カイロのアッバース朝カリフに対するバイアを行い、その後世俗権力者「スルタン」としての地位とカリフの持つ宗教的権限をも主張するようになった。こうした支配者としての権威の変遷は、モンゴルの影響が急速に薄れていくイランにおいて、新たなる君主像が生まれつつあったことを示しているといえよう。