著者
高嶋 航
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.93, no.1, pp.98-130, 2010-01

アジア太平洋戦争時期は日本のスポーツ界にとって受難の時代と記憶されている。しかしこれを中国大陸からながめると、全く違った様相が浮かび上がる。純粋スポーツの信奉者で、満洲にスポーツ王国を築いた岡部平太は、満州事変にいちはやく国家主義スポーツを提唱した。この「転向」は、日中両国の激しい抗争の場であった満洲の現実が醸成したもので、国策への便乗として片付けることはできない。その後岡部は天津で、軍特務としてスポーツを通じた文化工作を試みる。日中戦争勃発後、国家主義スポーツは日本の青年たちを戦場へと駆り立てた。一方、華北の占領地でスポーツは文化工作の一環として実施された。かくてスポーツは戦争の加害者となった。これは軍の強制によるというよりは、スポーツ界が戦争という状況に主体的に対応した結果であった。軍自身は武道・体操を重視し、スポーツを敵視する態度を取っており、そのため一方でスポーツ受難のイメージが形成され、他方で加害者としてのスポーツのイメージが隠蔽されたのである。

言及状況

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"岡部自身は戦争に批判的であったが、岡部の活動は戦争協力以外の何ものでもなかっ""戦時中、スポーツは国外では文化工作の手段として正当化されたが、国内では戦争への貢献を通じて正当化され" →スポーツと

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こんな論文どうですか? 戦争・国家・スポーツ--岡部平太の「転向」を通して (特集 「戦争」)(高嶋 航),2010 https://t.co/Kc51rOFMhq アジア太平洋戦争時期は日本のスポーツ界にとって受難の時代と記憶されている。しかしこ…

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