著者
野村 玄
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.93, no.6, pp.719-747, 2010-11

本稿は、天和・貞享期の綱吉政権による対天皇政策について、従来必ずしも論証されてこなかった同政権の政策実施目的の解明を目指した。その結果、天和期の綱吉は、廃一宮により傷ついた皇位継承行為の権威回復を図り、その一環として立太子節会の再興を容認していたことが判明した。また、貞享期の綱吉は、京都所司代と宮中との必要以上の接近による幕府の威光の減退を恐れ、京都所司代・稲葉正往を更迭し、宮中の奢移抑制及び霊元天皇の素行是正と、次代の東山天皇への悪影響防止のため、霊元天皇の譲位の早期実現を目指したこと、その過程で霊元天皇から示された大嘗会再興の要望も、譲位の早期実現の観点から容認していたことが明らかとなった。綱吉は「武家之天下」の主宰者として、幕府の威光と外聞を意識し、皇位とその担い手の皇族を慎重に管理しようとしたが、儀式の再興は、将軍綱吉の皇位管理政策を実現させる一つの手段であったこと等を指摘した。

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