著者
石田 俊
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.94, no.3, pp.371-407, 2011-05

本稿では、霊元天皇在位時の奥について、天皇の「母」である東福門院の役割に注目し、幕府の動向にも留意して具体的に検討した。天皇幼年時の奥は、東福門院と三条西実教などが統括する体制であった。皇継をめぐって禁闕騒動が起こると、幕府と後水尾院・東福門院は奥の統制を強め、鷹司房子を入内させて皇継問題を整理するとともに、女院を中心に作成された掟書によって、伝奏や禁裏附が「御前」の情報を直接入手する体制が整えられた。しかし奥の争いや天皇の成人により女院の影響力が減退すると、その体制は形骸化していった。女院や後水尾院の没後、天皇は奥の再編成を進め、譲位にあたっては外戚の女中を禁裏奥に配置して院政の基盤としたのである。

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