- 著者
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島津 毅
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
- 雑誌
- 史林 (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.97, no.6, pp.849-884, 2014-11
本稿は、中世における葬送形態としての僧俗分業構造とその変化の実態を解明しようとしたものである。従来の研究では、十四世紀前半を境に入棺・茶毘・拾骨等の葬送に携わる者が顕密僧から禅律僧に変化し、それは顕密僧が触穢を忌避したためだと理解されてきた。ところが、この理解には葬送の執行者として俗人が充分に位置付けられておらず、また中世後期の葬送で盛んに用いられた「一向僧沙汰」に対する理解も的確ではなかった。本稿は、九世紀から十六世紀までに行なわれた葬送を対象に検討を進めた結果、中世の葬送形態は、葬送全体を「一向沙汰」する奉行人と、個々の儀礼を司る者との重層的な執行体制を有していたこと、その変化は、この両層において俗人と僧侶との問でそれぞれ生じていたことなどを明らかにした。そして、顕密僧や禅律僧といった僧侶や親族・近臣といった俗人が、それぞれの置かれた立場からどう死穢と向き合っていたのかを明らかにした。