- 著者
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篠原 由利子
- 出版者
- 佛教大学社会福祉学部
- 雑誌
- 社会福祉学部論集 (ISSN:13493922)
- 巻号頁・発行日
- no.16, pp.39-63, 2020-03-01
1950年代-1960年代にかけて日本政府はWHOに精神衛生全般の専門顧問を招聘した。戦前からほぼ手つかずであった精神衛生施策、精神医療に対する助言、指導を請うためであった。戦前から家族依存、民間依存であった精神障害者対策は、戦後に新しい精神衛生施策や精神医療の導入をめざすが、結局日本特有の民間依存の大規模な隔離収容施設の建設を食い止めることができず、現在なお精神病床の削減を果たせないままである。戦後日本の精神医療を振り返るとき、最後のWHO顧問となったデビッド・クラーク博士の勧告(1968年のクラーク勧告)をどう取り上げるかが一つの基軸となる。熱心で緻密な調査報告は、ことに当時の精神病院の状況を正確に分析している。それらはその後の施策に反映させるべきであった。しかし当時の厚生省が自ら招聘したにもかかわらず、その勧告を全く無視したといわれている。本稿では4度にわたるWHO報告に関連させて、戦後日本の精神医療を方向づけた1950年代から1960年代の精神衛生施策、精神科治療、学会等専門職団体の動きをふりかえり、日本の精神医療に今なお横たわる課題の歴史的検証をする。クラーク勧告戦後精神医療地域精神衛生公衆衛生施策