著者
河西 英通
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.216, pp.71-119, 2019-03

1960年代後半の北海道大学の事態(北大闘争)は,戦後民主化闘争の流れと,ベトナム反戦運動や大学が抱えていた諸矛盾,さらには党派間の対立がぶつかり合うなかで生じた。本論は学内に大量に散布されたビラや当該期の学長の関係文書を中心に,学生新聞の紙面も追跡しながら,学生教職員の心情にまで踏み込んだ分析を試み,北大闘争の普遍性・個別性そして個人性の解明をめざした。北大闘争は周回遅れの大学闘争に見えたが,戦後の大学民主化においては1947年に全国に向けて大学制度改革案を発表するなど先駆的役割を果していた。大学をあげて取り組んだ1950年のイールズ闘争も知られている。大学民主化運動は60年代後半の北大闘争の渦中でも,栄えある「革新」史として回顧された。しかし一方で,他大学と同様に反戦運動,寮自治,軍事研究などが問題化していた。こうした大学民主化の伝統と1950年代半ばから60年代半ばに蓄積された大学の諸矛盾解決の焦点として,1967年に「革新学長」が誕生する。以後,北大闘争は(1)「革新学長」を先頭とし,学生自治会や教職員組合が推し進める大学民主化路線と,(2)それに批判的で大学そのものの存在意味を問うクラス反戦連合や全共闘,新左翼の大学解体路線が対抗し,(3)その間に解放大学運動などを通じて大学の内実を大幅に変革しようとする「造反」教員が位置するという構図をとる。北大闘争のピークは1968年ではなく1969年であり,(1)~(3)のアクターは激烈な対立を見せつつ,それぞれの内部にも複雑な構造をはらんでいく。(1)には強固な革命思想や暴力志向,(2)には反マルクス主義的傾向やロマンチシズム,(3)には敗北主義・諦念主義が見られた。北大闘争とは,戦後民主化の系譜に立つ北大民主化運動が60年代から70年代にかけた政治情況と大学の大衆化のなかで展開しきれず,大学という存在が地域社会における絶大な知的権威にとどまることで,社会変革の主体として形成されなかった歴史である。

言及状況

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「SAIHATE LINES 2019-Prelude」開催の約1週間後にこの論文が発表されている。創造的な意味づけが可能なので、じっくりと読むことにしよう。 https://t.co/7nRXvtPhfQ

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