著者
坂本 英夫
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.13, no.3, pp.220-241,281, 1961
被引用文献数
1 1

弓浜半島は過去の商品畑作農業の結果,過少農の卓越する人口稠密地域となり,特に開発の早かった半島北部では農業生産は既に副次的な意味しか有していない。これに比べて近世以降に開発の展開をみた半島中部では耕地細分化が北部ほど進行していないことや,地元の小都市とも距離を置き農業部門の地位は相対的に高い。ここでは蔬菜の輸送園芸が戦後盛んとなり,大阪を主とした関西市場へ共同出荷がなされている。透水性の大きい砂土に覆われた弓浜半島で蔬菜栽培を技術的に成立せしめているのが,江戸時代に開かれた米川用水路の働きである。そして普通の畑作物の中で,より労働集約的で土地使用的な性格を持っている蔬菜部門が戦後採択されたのは,過小農が卓越する弓ヶ浜農業の経営経済上の必然であった。この場合,共同出荷の推進母体たる農協は当初の販売担当機関に止ることなく,産地形成上の条件整備機関としての活動まで必要となった。このような共同出荷体制の組織化が社会的規制の形で進むか否かは,管内農家に対する農協の経済的比重の大小によって決定される。この点半島中部の農村は優良農協を中核とする生産-流通の体制が確立されて蔬菜の輸送園芸の中心地区となっている。これに対して,専業農家の少ない半島北部や共同化への関心の低い(米子)近郊は農協による個別経営の結合が弱く,程度の差はあれ輸送園芸の集団的形成を阻害している。弓ヶ浜産蔬菜の代表である葱は需要との関係が生産上の大きな条件となった。特有の農業気象によって早期収穫の可能性は秋の葱消費市場(大阪)を独占し有利な価格を保持している。ただ葱そのものの需要は限界があることや,弓ヶ浜からの出荷蔬菜中に市場での優越を誇る品目が他に見当らないことが問題である。新しい市場を求め,新しい品目を求めて蔬菜産地はその発展に努力しているのであるが,内外の状勢が何時までそれを許すのであろうか。

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