著者
北澤 毅
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.5-23, 2012

ある出来事が問題視されることが起点となって,その出来事をもたらした原因探求が開始される。原因探求は,問題事象を理解し解決策を検討するためであると同時に,問題事象をもたらした責任の所在を特定するための試みと考えられている。それゆえ原因探求に躍起となるのだが,そうした試みはしばしば泥沼化し,問題事象は混迷を深め悲劇をもたらすことがある。<BR> 本稿では,いじめ自殺と水俣病という,ほとんど無関係と思われる社会問題を対比させることで,「責任の根拠としての原因」という認識に導かれた言説実践がどのような現実を生み出してきたか,そして今も生み出しているかを明らかにしようと試みた。そのためにまずは,「意志と責任」「年齢と責任」「カテゴリーと責任」「偶然と責任」という視点から「因果関係と責任」の論理関係を検討することで,「責任の根拠として原因」という認識の論理的矛盾を明らかにした。と同時に,私たちの社会のなかで原因解明と責任追及がいかに実践されているかを言説分析の視点から解明することで「実践と認識の二重性」を指摘し,そうした二重性がもたらす困難を描き出すために,いじめ自殺と水俣病に見られる構造的同型性(=原因究明言説の隘路)を論じた。<BR> そして最後に,「責任の根拠としての原因」という認識がもたらす困難から脱却するための二つの方向性を示唆した。一つは,無過失責任論の可能性であり,もう一つは責任言説の再編可能性である。

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