著者
夏川 周介
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.7, 2008

終戦前年の昭和19年に創立された佐久総合病院はまさに戦後の歴史と共に歩んできた。設立当時は日本のチベットとも称された人口5千人に満たない貧しい、寒冷の地にあって、医師2人、20床の規模からスタートし、現在は老健までを含む全病床数1,190床、職員総数1,800余名、常勤医師数200余名を数えている。発展の過程を規模だけからみると、まさに戦後の復興から高度成長への道をひた走ってきた我が国の姿と生き写しの感があるのは否めない。しかし、経済復興と高度成長の波に乗り、時流におもねって規模の拡大が図られて来たわけでは断じてない。むしろ、困窮劣悪な農村地域にあって、戦後の工業社会の実現と生産優先の政策から取り残され、そのひずみを様々な形で受けた農村の環境、産業としての農業そして農民の健康を守るため、昭和20年に赴任し、50年間にわたり院長を努めた故若月俊一の指導のもと、地域に根ざした地道な包括的医療活動の結果であると考えている。そして、その過程はまさに農村医学の実践の歴史といえるのではないか。<BR>創立期は有史以来大きく変わることの無かった日本の農村・農民の劣悪な生活環境、作業内容からくる健康障害に医療のみならず、社会環境、行政的視点から問題を浮き彫りにし、医学的・社会的・科学的手法により、その解明と改善をはかった農村医学と予防医学創生の時期であった。経済的、時間的、距離的そして何よりも医学的無知から病院にかかることの出来ない人々に対し出張診療班を編成し、無医村に出かけ、保健・予防活動に力を注いだ。その後の高度経済成長時代は、生産優先政策から生じる農薬中毒、農機具災害などの環境汚染や健康障害から農民の健康を守るたたかいの時期であり、同時に急速に発展する医学、医療の修得と提供をめざして最先端の医療技術の導入、施設・機器の整備を図って来た。そして、近年は急速に進む高齢化社会に対応し、介護・福祉、ことに在宅医療の実践に力を注いでいる。<BR>戦後の日本社会は国際情勢とも連動した急速な発展と未曾有の大変動に見舞われているのに対し、国全体として意識、思想、体制が追いつけない状況が今日の混乱を招いているといわざるを得ない。医療の世界も農村・農業をとりまく状況もまた然りである。<BR>若月はこのような状況を早くから喝破し"食糧自給率を減らし、農業を危機に陥れ、農村の美しい環境を破壊しているのは資本である。それに、政・財・官の癒着が大きく関与している。「協同」の名において、資本との闘いをきちんとやっておかないと、将来はとんでもないことになる。"といみじくも述べている。この言葉の中に重要な農村医学の目的、意義、役割が含まれているものと考える。<BR>現在、地域医療崩壊が現実のものとなる中、医療関連産業は多くの地方の基幹産業としての役割を担っている。このことは人口減少に悩む地方、ことに農村地域における有力な雇用創出につながるとともに、地域社会の維持に欠くべからざる要素である。そのような地域に依拠する医療機関は、地域の継続性とセイフティーネットを守る役割と機能を持つことが社会的使命であり責任であると任じ、健全な経営を守ると同時に地域住民の命と健康を守ることが"農村医学の原点"ではないだろうか。

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