著者
前野 利衣
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.126, no.7, pp.1-33, 2017

十七世紀のモンゴル高原には、ハルハ=モンゴルという集団が左翼(東方)と右翼(西方)に分かれて遊牧していた。これまでの研究では、左翼の知見に基づいてハルハの全体像を描いてきたが、実像を知るには右翼の研究が必要である。そこで本稿では、右翼のチベット仏教界を取り上げ、ハルハの全体像の解明に挑戦し、以下の点を明らかにした。<br>当時のハルハの高僧と言えば左翼のジェブツンダンバ一世が有名であるが、右翼をなす三王家(ハーン家、ジノン家、ホンタイジ家)にも転生僧がそれぞれおり、彼らは当主に次ぐ莫大な属民を有し、清・チベット・ロシアと交渉する等、政治的に重要な役割を果たしていた。ハーンらがこうした転生僧を重用したのは、転生僧が十六世紀後半のチベット屈指の学僧の系譜に連なる高僧であっただけでなく、彼らがそれぞれ右翼三王家の当主の近親者であったからだと考えられる。<br>右翼におけるハーンと転生僧との政治的な提携関係は、左翼のトゥシェート=ハーン・ジェブツンダンバ兄弟の連携と酷似しており、従来特異な事例とされてきた左翼の聖俗連携の体制は、実はこの時代のハルハ全体に共通するものだったことが明らかになる。<br>かかる権力構造のパターンは、右翼のホンタイジ家で発展したものである。初代ホンタイジには側近として外交交渉を担う高僧がおり、第二代ではその外戚の高僧が同じ役割を果たし、第三代では当主の弟である転生僧が活躍した。つまり、十七世紀後半の全ハルハに現れた聖俗連携の権力構造は、左翼ではなく右翼において、十六世紀から三代かけて代替わりごとに発展してきたものだったのである。<br>以上本稿では、十七世紀後半のハルハにはボルジギン氏族の当主とその近親者たる高僧による聖俗連携の権力構造が現出し、そのパターンは右翼で成立したことを明らかにした。

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中国だと宋瞳先生やオヨンビリグ先生、ダリジャブ先生、日本だと関根知良さんや前野利衣さんの研究がやっぱり近年のものとしては重要ですね。前野さんの研究は公開されてるのがあったのでリンク張っておきます(満族史とか内陸アジア史まだ未公開だったかなぁって思いながら https://t.co/K9Lqrh0NNF

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