- 著者
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大串 誠寿
- 出版者
- 一般社団法人 芸術工学会
- 雑誌
- 芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
- 巻号頁・発行日
- vol.63, pp.99-106, 2013
新聞グラフィックスの外観を成立させる要因を理解する上で、その発達過程を知ることは有益である。本論では明治初期の和装新聞である『筑紫新聞』の検証を行う。同紙は九州地方ブロック紙『西日本新聞』の始祖であり、新聞グラフィックスの原初的形態の一典型と捉え得る。『筑紫新聞』は西南戦争に伴う報道新聞として、1877(明治10)年3月から9月までの間に総計31500部が発行され、福岡を中心に東京、京都、大坂でも販売された。しかし、その制作手法を記した資料はなく、版式は明確でない。筆者はこれを明らかにすることを目的として文献調査を行い、さらに芸術工学会誌・第61号掲載論文「明治初期・和装新聞に於ける版式判定」に於いて示した判定法を実施した。研究は以下の順序で行った。(1)文献調査による『筑紫新聞』第壱號の周辺概況確認、(2)同紙の精査・分析。出現文字の集計とサンプル文字選定、(3)写真撮影による同紙の紙面サンプル採取、(4)サンプル文字に対する輪郭線照合による版式判定実施 その結果、(1)で発行地・福岡の近郊都市・久留米に於いて1873(明治6)年に活版印刷が実施されたことを示した。また福岡は全国11位の人口規模を持つ地方中核都市であったが、各都市の新聞発行開始年の早さを比べると全国26大都市中22位となり、福岡の『筑紫新聞』は比較的後発であったことを示した。さらに記述内容と発行日の関係から、編集・制作・印刷の工程を1~2日で行い得る速報性に対応していたことを確認した。その結果、『筑紫新聞』は鋳造活字版で印刷された蓋然性が高いと判断された。(2)で同紙を精査し、総文字数3009個を確認した。同じ字形の繰り返し出現数を文字体系別に比較すると、平仮名・変体仮名が平均12.77個と最多であり、字形照合を行う対象として適することを確認した。同文字体系の中で最多出現文字である「変体仮名・能(の)」をサンプルに選定し、(3)で画像データとして取得した。(4)で版式判定を実施した。第2丁の「能(の)」24個のうち4個を印刷不良のため除外し、残る20個をサンプルとした。これらは字形の異なる「A・多数型グループ」と「B・大型グループ」に大別された。「B・大型グループ」2個をサンプル数不足から判断保留とし、「A・多数型グループ」内の類型のひとつである「a4・起筆部変形型」1個を、原因不明の変形から判断保留とした。残る「A・多数型グループ」の17個について字形の相違は見出されず、従ってこれらは全て鋳造活字と判断された。これに(1)の結果を勘案すると、『筑紫新聞』第壱號・第2丁に出現する「変体仮名・能(の)」が鋳造活字で印刷されたことは確実であると結論された。