著者
田嶋 玲
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

1.はじめに<br> いわゆる「民俗芸能」についての研究は、1990年代以降その様式や内容に着目した研究に代わって、現代における村落社会の変化に伴う文化変容や観光資源化プロセスなどが主要なテーマとなった。特に、演劇に分類される民俗芸能については、芸能の担い手である演者の実践に注目した研究がなされてきた。一方、上演を成立させるもう一つの「担い手」である観客や上演の主催者については、まだ議論の余地があるといえる。また、地理学ではこれまで特に神楽が議論の対象となってきたが、同じく演劇性をもった民俗芸能である地芝居(農村歌舞伎)に触れているものは少ない。<br> そこで、本研究では著名な地芝居の一つである「檜枝岐歌舞伎」を例に、上演を支える構造とその変遷を公演記録をもとに分析し、地芝居の上演をめぐる環境の変化を明らかにする。<br><br>2.研究対象の概要と方法<br> 檜枝岐歌舞伎は、福島県檜枝岐村で江戸時代から現在まで伝承・上演が続けられてきた地芝居の一つである。上演は村民による一座「千葉屋花駒座」がボランティアで運営しており、出演者もほとんどが村民である。現在では観光化が進み、村の重要な観光資源ともなっている。<br> 檜枝岐歌舞伎は村内での上演が活動の中心となっているが、村外での上演も過去から現在まで幅広く行われている。本研究では特に村外で上演を行った場所と、上演の開催名目や主催者に注目する。一座関係者から提供を受けた公演記録帳3冊からこれらの点を分析し、その対象期間は提供資料に記載された範囲の1967年11月から1996年9月までとした。<br><br>3.上演場所の変化とその要因<br> 1960年代終盤から1980年代までの村外上演は、旧伊南村や旧南郷村、石川町など同じ福島県内や、新潟県旧入広瀬村や旧守門村、群馬県片品村や栃木県栗山村など、比較的檜枝岐村に近接した町村部での開催が中心となっていた。その開催名目や主催者を見ていくと、1970年代初頭までは祭礼に招かれての上演がいくつか見られた。しかしそれ以降は、敬老会や高齢者福祉施設での上演が増加していった。これは、会津地方周辺における地芝居を取り巻く社会的状況の変化が要因と考えられる。高度経済成長期以降、それまで村落地域の一般的な娯楽であった地芝居は、テレビなどの新しい娯楽の登場や担い手となる若者の流出で、幅広い世代が楽しめる娯楽としての地位を急速に失っていった。その結果、次第に観客は高齢者層中心となっており、その状況が反映されたものと推察される。<br> その後、1980年代後半以降の村外上演は、県内の都市部や他の都県での開催が増加していった。その名目も、フェスティバルや民俗芸能の上演を目的とした大会が中心であり、「伝統文化」としての扱いを受けることが一般的となった。これは檜枝岐歌舞伎が観光化し、外部に広く知られる民俗芸能となったことが要因と考えられる。檜枝岐歌舞伎は1960年代後半から徐々に観光資源として扱われはじめ、村内での上演に多くの観光客が集まるようになった。そして1980年代には村内での上演に800人以上を集客するまでになり、福島県を代表する伝統文化として注目が集まっていたことが窺える。<br> こうして檜枝岐歌舞伎の外部公演を支える観客や主催者は、娯楽や祭礼の一要素としての上演を期待する村落地域の住民から、「伝統文化」の上演を期待する都市住民へと変化していったといえる。

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田嶋 玲 -  檜枝岐歌舞伎の上演場所とその変遷 https://t.co/6de9uA0O3g

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