- 著者
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田嶋 玲
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
- 巻号頁・発行日
- pp.335, 2020 (Released:2020-03-30)
1.はじめに 福島県の檜枝岐村で江戸時代より伝承されている「檜枝岐歌舞伎」は,祭日に上演される「地芝居」と呼ばれるジャンルの芸能である.今日ではその伝統性・真正性が高く評価されており,福島県を代表する「民俗芸能」「伝統芸能」として多数の観光客を集めている. これまで,ある地域で伝承されている芸能を対象とした研究では,「担い手」を演者のみに限定する研究が多かった.しかし現代においては,芸能の上演は行政や観光関係者,そして観客などの多様な主体が絡み合うことで初めて成立している.本報告では,近代以降における社会変化の中で,檜枝岐歌舞伎の上演が成立する空間がどのように変化してきたか,そして,その上演の存立基盤を形成する主体がどのように多様化してきたかを明らかにする.2.観光化以降における上演空間の変容 歌舞伎は江戸時代に檜枝岐村へ伝来して以降,「大衆芸能」として村民の手で上演されており,村の紐帯ともなっていた.その在り方が大きく変化したのは戦後のことである. 昭和20年代以降,研究者によって「檜枝岐歌舞伎」が見出され,県内の芸能大会に出場しメディアに取り上げられることで「貴重な民俗芸能」となっていった.しかし,テレビをはじめとする新しい娯楽の登場と,経済成長に伴う若者の流出によって,昭和40年代には上演が困難になった. 一方その頃,檜枝岐村は奥只見ダム建設に伴う電源収入を元手に,全村を挙げて尾瀬を中心とした観光化を推し進めていた.その中で檜枝岐歌舞伎も観光資源として見出され,村内の鎮守神で上演される歌舞伎に外部から多数の観光客が集まるようになった.すると,これに対応するように上演空間も大きく変容していった. 観光客が収容しきれないほどまで増えると,境内は階段状の観客席へと造り替えられ,照明や音響設備も整えられていった.物的な面だけでなく質的な面も大きく変化した.畑作から民宿などの観光業に転換した村民は,上演日には観光客の対応に追われるようになり,上演を見るのが難しくなってしまった.その結果,歌舞伎の上演は村の紐帯という役割を失い,観客は外部からの観光客で占められるようになったのである.3.存立基盤を構成する主体の多様化 檜枝岐歌舞伎と檜枝岐村を取り巻く戦後の変化は,観客以外にも多数の主体を上演の存立基盤に加えていった. 檜枝岐村とその周辺地域では,江戸時代から各村落に地芝居が点在し,それらの上演を演技指導者や道具貸し出し業者が支えていた.戦後,その存立基盤はより複雑化していく.ミクロスケール(村内)では,観光化に伴って村民が演者・行政・民宿などの主体に細分化されていき,上演を共に支えつつも,「伝承」と「利用」のバランスを巡るせめぎ合いが発生するようになった.メソスケール(周辺地域〜県内)では,特に檜枝岐村と直接関わる地域の企業が多数の寄付を出すようになり,重要な資金源となっている.観客の多くはマクロスケール(全国)に位置する主体だが,彼らは客席を埋め尽くし,多数の拍手やカメラのフラッシュを浴びせることで,演者たちの「原動力」を湧き立たせる重要な役割を担っているのである. 戦後における社会の変化は,一度は檜枝岐歌舞伎の伝承を危うくした.しかし結果的にその変化は,上演の存立基盤に多様なスケールからの主体を招き入れることにも繋がった.現在の檜枝岐歌舞伎の上演は,こうした存立基盤の上に初めて成立しているのである.