- 著者
-
末木 孝典
- 出版者
- 日本政治学会
- 雑誌
- 年報政治学 (ISSN:05494192)
- 巻号頁・発行日
- vol.71, no.1, pp.1_201-1_222, 2020
<p>本稿は、明治期最初の議院規則における傍聴規定の成立過程を 「梧陰文庫井上毅文書」 所収の草案の順序を推定することにより、現行規定の傍聴席の細かい分類や傍聴人の服装などの規制が規定された経緯や、最終的に女性の傍聴禁止条項が廃止されるに至った経緯を考察するものである。</p><p> その結果、以下のことがわかった。第一に、傍聴席分類や傍聴人の服装などの規制は欧米諸国を調査した事務局グループが作成した草案に起源があり、議院秩序を最優先する発想から来ていること。第二に、議院規則を勅令で事前に制定する方式ではなく、憲法が保障する議院の自律性に配慮して草案の作成にとどめ、成案は議会が定める方式を採用したことが最終的に女性の傍聴禁止条項の削除を可能にしたこと。第三に、草案作成に際して事務局内に対立があり、総裁の井上毅は女性の傍聴禁止を明文化せずに運用で規制すればよく、傍聴席分類も厳しすぎると認識していたこと、海外調査組の金子堅太郎は秩序と事務処理を重視し、女性の傍聴禁止の明文化に反対ではなかったこと。最後に、現行の議院規則や傍聴規則が明治期から維持されてきた細かい規制をいまだに残したままであることである。</p>