著者
末木 孝典
出版者
慶應義塾福沢研究センター
雑誌
近代日本研究 (ISSN:09114181)
巻号頁・発行日
no.32, pp.105-135, 2015

論説はじめに一 明治天皇と第二回総選挙二 松方・品川の指示と府県知事の対応おわりに
著者
末木 孝典
出版者
慶應義塾福沢研究センター
雑誌
近代日本研究 (ISSN:09114181)
巻号頁・発行日
no.30, pp.91-122, 2013

特集 : 慶應義塾福沢研究センター開設三十年#論説一 はじめに二 非有権者の政治参加(一)請願(二)傍聴三 市民の議会観・議員観(一)福沢諭吉の議会観・議員観(二)民衆の議会観・議員観四 むすび
著者
末木 孝典
出版者
慶應義塾福沢研究センター
雑誌
近代日本研究 (ISSN:09114181)
巻号頁・発行日
no.26, pp.1-34, 2009

論説1. はじめに2. 言論をめぐる法制度とその運用3.集会及政社法による言論規制4. 新聞紙条例による言論規制5. むすび
著者
末木 孝典
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.1_202-1_224, 2021 (Released:2022-06-15)
参考文献数
31

本稿は、戦前・戦後を通じた日本の議会傍聴について、その実態を明らかにした上で公開性と権力監視という観点から意義を考察するものである。その結果、以下のことが明らかとなった。1) 戦前の傍聴人数は長期的に増加し、1日平均で衆議院844人、貴族院351人であったが、戦後はテレビ中継の開始などから減少し、近年は衆議院200人、参議院100人程度の水準である。2000年代以降、インターネット中継とそのアーカイブにより時間や場所を問わずに傍聴が可能になったことで情報の流通度が高まっている。2) 女性の傍聴に関しては、大正期からの女性参政権運動で要請対象になった貴族院の女性比率が高く、戦後は両院とも長く低迷したが、近年は女性の記者・公務員が増えたことで比率が高まっている。3) 戦前から議院秩序を重視してきた傍聴規定には今も座席区分や服装規制が残り、公開性を損なっている。
著者
末木 孝典
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.1_201-1_222, 2020 (Released:2021-06-16)

本稿は、明治期最初の議院規則における傍聴規定の成立過程を 「梧陰文庫井上毅文書」 所収の草案の順序を推定することにより、現行規定の傍聴席の細かい分類や傍聴人の服装などの規制が規定された経緯や、最終的に女性の傍聴禁止条項が廃止されるに至った経緯を考察するものである。 その結果、以下のことがわかった。第一に、傍聴席分類や傍聴人の服装などの規制は欧米諸国を調査した事務局グループが作成した草案に起源があり、議院秩序を最優先する発想から来ていること。第二に、議院規則を勅令で事前に制定する方式ではなく、憲法が保障する議院の自律性に配慮して草案の作成にとどめ、成案は議会が定める方式を採用したことが最終的に女性の傍聴禁止条項の削除を可能にしたこと。第三に、草案作成に際して事務局内に対立があり、総裁の井上毅は女性の傍聴禁止を明文化せずに運用で規制すればよく、傍聴席分類も厳しすぎると認識していたこと、海外調査組の金子堅太郎は秩序と事務処理を重視し、女性の傍聴禁止の明文化に反対ではなかったこと。最後に、現行の議院規則や傍聴規則が明治期から維持されてきた細かい規制をいまだに残したままであることである。
著者
末木 孝典
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.1_201-1_222, 2020

<p>本稿は、明治期最初の議院規則における傍聴規定の成立過程を 「梧陰文庫井上毅文書」 所収の草案の順序を推定することにより、現行規定の傍聴席の細かい分類や傍聴人の服装などの規制が規定された経緯や、最終的に女性の傍聴禁止条項が廃止されるに至った経緯を考察するものである。</p><p> その結果、以下のことがわかった。第一に、傍聴席分類や傍聴人の服装などの規制は欧米諸国を調査した事務局グループが作成した草案に起源があり、議院秩序を最優先する発想から来ていること。第二に、議院規則を勅令で事前に制定する方式ではなく、憲法が保障する議院の自律性に配慮して草案の作成にとどめ、成案は議会が定める方式を採用したことが最終的に女性の傍聴禁止条項の削除を可能にしたこと。第三に、草案作成に際して事務局内に対立があり、総裁の井上毅は女性の傍聴禁止を明文化せずに運用で規制すればよく、傍聴席分類も厳しすぎると認識していたこと、海外調査組の金子堅太郎は秩序と事務処理を重視し、女性の傍聴禁止の明文化に反対ではなかったこと。最後に、現行の議院規則や傍聴規則が明治期から維持されてきた細かい規制をいまだに残したままであることである。</p>
著者
末木 孝典
出版者
日本選挙学会
雑誌
選挙研究 (ISSN:09123512)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.120-130, 2011 (Released:2017-06-12)

第2回衆議院議員選挙において,第一次松方内閣は選挙干渉を行った。本稿は,選挙干渉の有効性を分析するため,①選挙の結果,政府支持派を拡大できたか,②選挙後の第三議会において,政府の方針に従う議員を増加できたかという2点について検討した。 その結果,まず,内務省の名簿により,選挙では幅広い勢力を取り込み,政府支持派を大幅に増加させたことがわかった。選挙後,政府は自由党や独立倶楽部などに対して多数派工作を行ったが,政府支持派と見ていた独立倶楽部が分裂するなど,成功したとはいえない。そして,第三議会における各議員の議案賛否をパターン分析した結果,基礎票で民党と吏党の差はほとんどなく,方針通りに投票した議員が民党側約90%,吏党側約75%と差 がついたことがわかった。以上のことから,選挙干渉は議会運営の円滑化には有効な結果をもたらさなかったといえる。