- 著者
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秋月 準也
- 出版者
- 北海道大学大学院文学研究科
- 雑誌
- 北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
- 巻号頁・発行日
- no.11, pp.93-108, 2011
本論の目的はミハイル・ブルガーコフ作品にあらわれる1920年代から30年代の「住宅管理人」像の比較分析を通して,ブルガーコフの文学世界の一端を解き明かすことである。ブルガーコフにとって「住宅管理人」は彼の文学を日常的主題である住居と強く結びつけると同時に,幻想世界への入口としての機能も果たすようなものであった。中編小説『犬の心臓』では,居住面積の調整をめぐってプレオブラジェンスキイ教授と激しく対立していた管理人シボンデルが,教授が生み出してしまった人造人間シャリコフを積極的に援助し,彼に正式な身分証明書と教授宅に居住する権利を与える。つまり住宅管理人シボンデルの存在が,科学によって創造される人間という『フランケンシュタイン』から受けつがれる空想科学文学の代表的な主題を20年代のモスクワに組み込むことを可能にしている。また喜劇『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』でブルガーコフは住宅管理人をH・G・ウェルズ的な時間旅行の世界の中に描いた。タイムマシンの実験による住宅管理人ブンシャとイヴァン雷帝の入れ替わりは,20世紀のモスクワのアパートと16世紀のクレムリンの対比であり,「管理」と「統治」の対比であった。この戯曲でブルガーコフはツァーリとなったにもかかわらずロシアをまったく統治することができない管理人ブンシャを通して,アパートの管理人という革命後に生まれた無数の権力者たちが,実際には総会(общее собрание)の方針や民警(милиция)の権威に従属した存在であることを明らかにしている。また他方では,アパートを支配したイヴァン雷帝を通して住宅管理人が絶対君主としてアパートを「統治」する危険性があることも同時に示したのである。