著者
岩井 茂樹 Iwai Shigeki イワイ シゲキ
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.29-53, 2006-10

「わび」、「さび」という言葉は、「日本美を代表する言葉」として広く認知されている。同時に、多くの人が「茶道」を想起する言葉でもある。たしかに、「わび茶」という言葉は、江戸時代から現在まで途絶えず用いられ続けているから「わび茶」とは何かを考えることは重要なことであろう。しかし、その美意識とされる「わび」、「さび」といった言葉の意味する内容についてはどうだろう。つまり、茶道の重要概念を表現する言葉として、現在では必ずといっていいほど使用される「わび」「さび」という言葉が、茶道史上常に使用されてきたのか、それはどのような意味においてであったか、ということを筆者は問いたいのである。本論考はそのような疑問に答えようとしたものである。いつから「わび」、「さび」という概念が茶道で重んじられるようになったのか、そこにはどのような意思や愛大の力学が働いていたのかを明らかにすることを目的としたものである。 本論考で明らかになったことは、次の五点である。① 元禄期の茶書には「わび」、「さび」について語っているものは多いが、江戸時代を通じてみれば、それは少数でしかない。② 明治期には「質素・質朴」、「礼儀」などが重視されていた。大正期になると「和敬清寂」が重要理念として強調され始め、昭和期にはその「寂」の部分を「わび」や「さび」で説明する書物が多くなってくる。③ 「わび」や「さび」は明治期から大正期には主に茶室・茶道具などを形容する言葉として用いられることが多かった。それが機能的方法により茶道に集約されたのである。④ 茶道と「わび」、「さび」が結合するようになった要因として、三つのことが考えられる。一つは、大正期から盛んに論じられた「風流」や「日本趣味」が、文化ナショナリズムが昂揚していく過程において非常に注目されるようになったこと。二点目は、創元社の『茶道全集』の刊行である。三点目は、家元、禅学者、そして京都帝国大学史学科出身の学者ないしはその弟子たちによって書かれた日本文化論がよく読まれたことである。⑤ 茶道の「わび」「さび」化は、主として京阪神中心の文化によって形成されたものである。 本研究によって、「わび」、「さび」という言葉が茶道において、常に強調されてきた理念ではないこと、そしてそれは、大正期から昭和初期にかけて喧伝され、第二次大戦後広範に認知されるに至ったことが明らかになった。