著者
桜井 芳生 サクライ ヨシオ SAKURAI Yoshio
出版者
鹿児島大学
雑誌
人文学科論集 (ISSN:03886905)
巻号頁・発行日
no.66, pp.1-21, 2007

日本の現代の若者は,どのような交友関係をもっているのだろうか?。本論文,文末の【文献】にあげたとおり,日本人の交友関係について実証的に分析した研究はないことはない。しかし,「友人」の「双方」からデータをとった調査はほとんど知られていない。われわれは,さまざまな問題意識の者との「あいのり」調査(オムニバス調査)ではあったが,現実の「いま交友している友人たち(同性)」同士からデータを採集することができた。いまだ「探索的」段階ではあるが,非常に興味深い知見をうることができた。おもに,二点指摘できる。第一は,「友人同士」における「親の収入の類似」である。この現象を,「「収入」依存選択的「交友」仮説」と呼ぼう。われわれは,すでに,「恋愛中の両人」からのデータ収集を行い,そこにおいて,一見似てはいるが,異なった現象を見いだしていた(桜井2006)。すなわち,「交際中の恋人同士」は,その双方の家計の「不動産の所有の有無」が類似していたのであった。この現象を,「「資産」依存選択「交際」仮説」と呼んだ。「交友」はおもに同性の友人関係を,「交際」は恋愛関係を示すとする。以上の「交友←→収入依存」「交際←→資産依存」の対照的関係は,非常に興味深い。第二の知見は,「恋愛しているのに,性交渉をしていない」度合の,友人同士における類似である。少なくとも自己申告のアンケートから見る限り,恋愛をしていても性交渉していないカップルはある程度存在する。ただし,恋愛期間に依存するので,この恋人たちがずっとセックスレスであるとはがんがえるべきではない。友人たち同士は,この「恋愛しながらも未性交渉である」度合が,類似しているのである。ただし,この相関は,「年齢」で統制すると有意性をなくしてしまった。今後の大規模な調査が待たれる。この「恋愛しながらも末性交渉である」度合は,年齢以外にも,いくつかの変数から影響を受けている。もっとも注目されるのは,「経済的豊かさ」である。自己を「経済的に豊か」と感じている若者ほど,「恋愛しながらも未性交渉」である比率が高い。経済的格差の進行が云々される今日,この知見は非常に興味深い。
著者
桜井 芳生 サクライ ヨシオ SAKURAI Yoshio
出版者
鹿児島大学
雑誌
地域政策科学研究 (ISSN:13490699)
巻号頁・発行日
no.4, pp.109-125, 2007-02

Research was conducted into what kinds of students are successful in job hunting. A questionnaire was answered by students at a university in southern Kyushu, Japan during November and December 2005. Some of our findings are: 1. For male students, the level of dependency on their peers, the level of inferiority about their appearance, motivation, whether they had completed SPI study aids, and their physical strength all affected their success in job hunting to a sufficient significance level. Whether their parents' weddings were arranged also negatively affected it to a lesser extent. 2. For female students, their height, weight and empathy affected their success to a sufficient significance level. Whether they had been in a personal relationship, motivation, withdrawnness, and the level of dependency on their peers also affected success to a lesser extent. 3. These variables have never been empirically verified. However, we were able to obtain a comparatively strong explanation power (R-square=.644) by making these variables the independent variables.
著者
桜井 芳生 サクライ ヨシオ SAKURAI Yoshio
出版者
鹿児島大学
雑誌
人文学科論集 (ISSN:03886905)
巻号頁・発行日
no.71, pp.1-19, 2010-02

日本戦後社会における格差と教育について一つの仮説を提起する。昨今よく議論される格差社会の問題、とくに、格差と教育に関して、学知的コミュニケーション圏ではほとんど言及されていないとおもわれる一つの仮説を提起した。すなわち、「教育ゲームにおける、学力の主観的認知完了による勉強期待」仮説、である。もしこの仮説が成立していると、時代が経るにつれて「収入・職業威信などを統制したうえでの、本人学力→子供への教育意識」の影響力の強さは増加する、という反証可能な予測をたてることができる。SSM95データにより、この影響力の強さがどう変化するかを分析した。予想に即した結果を得た。最後に、主に二点にわたって、このアプローチの今後の課題を指摘した。
著者
桜井 芳生 サクライ ヨシオ SAKURAI Yoshio
出版者
鹿児島大学
雑誌
人文学科論集 (ISSN:03886905)
巻号頁・発行日
no.50, pp.11-41, 1999

本稿は,おもに三つの問題について,暫定的な回答案を提示することを目的とする。第一の問題とは,人間社会において,「選択肢」が「消滅」したり「発生」したりするのは,いかにしてなのか,という問題である。第二の問題は,人間社会における「当為(べき)性」の由来はいかなるものなのかという,問題である。第三の問題は,人が社会を生きている際に感じる悩みには主にどのようなものがあり,それの解決はいかになされるのか,あるいは解決できないものはあるか,という問題である。私が提案する回答が,これらの問題に関して「唯一にして,必要」であるということはありそうもない。しかし,私の提案する答案は,私の知る限りあまりいままで展開されていない。よって,一つの「取りかかり」として提起するのは,今後の探求の糸口になるように直観される。第一の問題のさらに第一下位問題すなわち,いかなる場合に選択肢は消滅するのかという問題。この問題に対する私の回答は,純粋ナッシュ均衡が成立しているとき,というものである。第一の問題の第二下位問題すなわち,いかなる場合に選択肢は発生し存続するのかという問題。この問題に対する私の回答は,純粋ナッシュ均衡が不成立となり,混合ナッシュ均衡が存在している場合,というものである。後者の純粋ナッシュ均衡が不成立で,混合ナッシュ均衡が存在している場合には,おもに三つの主要類型が考えられる。第一は,事態が,「非対称ゲーム」的である場合で,このときは,人々は「悩んで選択する」ことがありそうになる。通常いう「選択」のもっとも典型的ケースと思う。第二は,事態が「対称ゲーム」的である場合である。この場合も,論理的にはすぐまえと同様「悩んで選択」することもあり得る。が,典型事例としては,「階級分化(棲み分け比率が圧倒的でない場合)」と「一見自明な規律(棲み分け比率が圧倒的である場合)」とにおおむね類型できる。うえのもっとも後ろの類型の「一見自明な規律」が成立するとき,社会には「当為`性」が成立することがある,というのが,第二の問題に対する私の答案である。以上の論脈に即して人間の悩みの源泉も整理することができる。これが第三の問題への答案である。
著者
桜井 芳生 サクライ ヨシオ SAKURAI Yoshio
出版者
鹿児島大学
雑誌
人文学科論集 (ISSN:03886905)
巻号頁・発行日
no.48, pp.47-77, 1998-12

文化的希少性の理論の-各論として「美」にかんする理論を構想する。まず,カントの議論をヒントにして,美についての二つの問題を提起する。さらに美にかんする探求をするにあたって,「美人」の問題を糸口とする。美人(美人コンテスト)をめぐって,三つの問題が存在することを指摘する。まずは,この三問題に回答をあたえることを第一の目標とする。「携帯決断機」「流動性選好」などを参考にして,「選好の自己明証性不安」と「選択回避性向」などの仮説を提起する。これらの仮説にもとづいて,ミスコンの三つの問題への回答が提起される。後半において,この前半の議論をふまえて,美にかんする一般的な視点が提起される。おもにカント美学における二つの主張にたいする代替案として,われわれの見解が述べられる。最後に「美とはなにか」という問題に関して,必要性も十分性も満たさないが「いい塩梅のモデル」であるとわれわれが考える命題が提起される。すなわち,美とは,無関心性と,ある程度の普遍性(他者による承認の普遍性)があるかのように見せかけることによって,選好の自己明証性不安と選択回避性向を慰撫するようなコト・モノである,と。