著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Sasaki Yoko
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.1-14, 2015-12-01

本稿は、「棄老研究」を民俗学・法理学・文学・映像作品の4種のアプローチに分けて考察する。上記のアプローチのうち、文学的アプローチを中心に扱うが、文学に対時するものとして民俗学が位置づけられる。というのは文学作品では「棄老」を実在の習俗であるとの前提でストーリーを展開させているが、民俗学では「棄老」習俗は実在しないという解釈が定説となっている。たとえば、「埋め墓」と「詣り墓」を別々につくる「両墓制」などによって、「埋め墓」である洞窟や海辺付近から白骨化した遺体が見つかることがあり、あたかも「棄老」習俗が実在していたかのどと<に捉えられるが、それは過ちであるとしている。文学では戦後、深沢七郎・村田喜代子・佐藤友哉などにより「棄老」をテーマに作品が生み出され、老いそして死に至る人間存在の深淵が問いかけられている。本稿は「「棄老研究」の系譜」の前半部に位置づけられる。In this study, we consider the existing research on kirō (the practice of casting the elderly off into the wilderness) fromfour fields: folklore, legal philosophy, literature, and film. Of these, this study deals mainly with the literary approach, butit also includes the study of folklore to provide an contradicting perspective. Although, in literary works, writers havebased their stories on the assumption that kirō was an actually existing custom, in the study of folklore it is widely heldthat the custom of kirō never actually existed. For example, due to ryōbosei (a custom of building separate burial groundsfor umebaka, graves for burial, and mairibaka, memorial graves for visitation), skeletal remains can be found on beachesand in caves that constitute umebaka. As a result, the custom of kirō is regarded as having really taken place; however, thisis not the case. In the postwar literature, authors such as Shichiro Fukazawa, Kiyoko Murata, and Yuya Sato have produced works on the theme of kirō, delving into issues of human existence such as old age and death. This study forms thefirst half of a genealogy of kirō studies.
著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Yoko Sasaki
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.1-14, 2015-12-01

本稿は、「棄老研究」を民俗学・法理学・文学・映像作品の4種のアプローチに分けて考察する。上記のアプローチのうち、文学的アプローチを中心に扱うが、文学に対時するものとして民俗学が位置づけられる。というのは文学作品では「棄老」を実在の習俗であるとの前提でストーリーを展開させているが、民俗学では「棄老」習俗は実在しないという解釈が定説となっている。たとえば、「埋め墓」と「詣り墓」を別々につくる「両墓制」などによって、「埋め墓」である洞窟や海辺付近から白骨化した遺体が見つかることがあり、あたかも「棄老」習俗が実在していたかのごとくに捉えられるが、それは過ちであるとしている。文学では戦後、深沢七郎・村田喜代子・佐藤友哉などにより「棄老」をテーマに作品が生み出され、老いそして死に至る人間存在の深淵が問いかけられている。本稿は「『棄老研究』の系譜」の前半部に位置づけられる。
著者
笹木 葉子 ササキ ヨウコ Yoko SASAKI
雑誌
北海道医療大学看護福祉学部紀要
巻号頁・発行日
vol.12, pp.69-74, 2005-12-20

育児は生活の営みの一部であり、時代、文化、習慣、によって大きく左右される。育児相談ではそれら時代の変化や文化、習慣、個人の価値観等に応じて育児法の情報を提供していかなければならない。しかし、相談に応じる医療者に対する育児法に関する系統的な教育は確立されておらず、個人的見解や経験則に基づく助言が中心になっている。育児法に関する情報を科学的で統一した見解にするためには、エビデンスに基づいて1つ1つ検証していかなければならない。「子どもの睡眠」については養育者の睡眠にも影響を及ぼすため、深刻な場合が多い。この相談に適切に対応するには乳幼児の睡眠生理についての正しい知識が必要である。睡眠については、大脳の生理学や内分泌の研究の進歩によってかなり詳しく解明され始めている。本研究では、乳児期各月齢ごとに睡眠覚醒リズムの生理をまとめ、睡眠覚醒リズムの確立を促す育児法について検討した。全月齢共通に"朝は明るく夜は暗く静かに過ごす"ことを基本に、妊娠期の母親の生活リズムの調整や、乳児期の日中の授乳、離乳食、遊び、運動、タッチケア、沐浴、入浴等で生活にメリハリをつけるなど実践的な育児法に関する情報をエビデンスに基づき整理した。
著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Sasaki Yoko
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.17-28, 2016-12-01

本稿は、「老いと死をめぐる想像力」をテーマとする拙稿を集成した論文の序章の前半にあたる。本稿は、まず、文学者の優れた想像力・洞察力・表現力によって、老いや死の問題を現前化させる力に着目し、文学との「領域横断性」に触れる。主に、旧約聖書の「ヨブ記』とM,ヴェーバーの『プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」を中心に据え、その後、論文が抱えている4つの課題を提示する。第1の課題、すなわち「なぜ民俗学の素材を使用するのか」が最も重要な位置を占める。というのは、この部分が論文の構成にストレートに関わるからである。他の課題とは、第2に「文学的想像力と社会学的想像力の架橋可能性とは」、第3に「死者と生者の関係性に着目するとは」、第4に「ジェンダーの視点では何を具体的に考察するのか」であるが、本稿は第一の民俗学に関わる課題のみを扱う。This document will serve as the first half of the preface to "Discussion," a collection of my work that addresses the theme of "the power of imagination regarding old age and death." This piece will focus on the power possessed by writers—through outstanding imagination, insight, and expression—to introduce the issues of old age and death to the public and allude to the "cross-disciplinary nature" of literature. Primarily centered on the Old Testament's Book of Job and M. Weber's The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism (Die protestantische Ethik und der 'Geist' desKapitalismus), I present four questions with which the works in "Discussion" engage with. The first question is "Why usefolkloristic materials?" This question occupies the primary position because it is directly related to the structure of thesubsequent studies. The other questions include the following: "What is the potential for bridge-building between theliterary and sociological power of imagination?" "What does it mean to focus on the relation between the living and thedead?" and "What is specifically considered from the perspective of gender?" However, this document will only concern itself with the first question, which is regarding the study of folklore.
著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Yoko Sasaki
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.1-14, 2013-07

本稿は、義親の介護を担う「介護嫁」の孕む問題を、以下の二点に焦点をあて論じる。一つは、厚生労働省などの公的データーに依拠し、「誰に介護を希望するか」の期待値と「誰が実際には介護を担っているか」の現実値のギャップが「嫁」についてはいかに大きいかを捉え、それを介護労働の無償性との関連で考察する。いま一つは、相対的に高齢な「介護嫁」は夫に代わって義親を介護する事を自明視する心性を内面化しながらも、親身にまた長きにわたり介護者となっても、法定相続人にはなれないとの法の孕む問題を考える。法律レベルでは、「嫁」の介護労働の無償性に対し、いくつかの救済の道が用意されている。例えば、遺言や生前贈与あるいは養子縁組をし法定相続人になることで、嫁の介護に対する財産的保障を担保したり、また「嫁」に介護を丸投げしてきた義理の兄弟姉妹に遺産相続がなされる場合、彼らに不当利得返還請求を行う事などがあげられる。だが、法律が想定する人間類型は、明確な権利主体として自己決定しうる自立した人間を前提としている。権利を行使しないのは、その人間の自立心のなさゆえであるとの見方を「介護嫁」にあてはめることの過酷さを考えたい。
著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Yoko Sasaki
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.1-14, 2016-07-01

日本とメキシコとは14時間もの時差があり遠く離れている。しかし、死者に飲食物を供える習俗を共有している。西欧の献花台にあるのは、ろうそくと花のみで、西欧の合理主義的見地からは「死者は食べない」と言われる。日本では、死してものどが渇き飢える死者・像が受容される。日本のお盆では今もって一部の地域では墓前飲食が行われている。メキシコの11月1日・2日の「死者の日」は、お盆同様に死霊を墓で歓待し飲食物で迎える。日本では迎え火をたいて霊魂が迷わないようにと、メキシコではオレンジ色のマリーゴールドの花びらを墓から家路までまいて死霊が迷わずに到着できるように配慮され、死者は家人に招き入れられる。日本との類似性を見出しつつも、メキシコではガイコツのお菓子・おもちゃが充満し、「死を笑う心性」「死しての平等」の譜誰と歪んだ平等性は、メキシコの歴史と深い死生観に根差していることを考えさせられる。
著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Yoko Sasaki
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.1-15, 2015-10-01

「老い」から「死」への連なりは、我々の多くが辿ることになる道程である。だが、特殊な場合を除き、若さとは「老い」も「一人称の死」も忘却して生きることのできる特権的時代であり、若者の時間は未来にある。それに対し、老人の時間は過去にある。近年、ボーヴオワールの『老い』の翻訳本が、40年ぶりに新装版として再出版された。本書は、「老い」をめぐる通時的・共時的な先行研究の宝庫であり、民族学、文学、社会学、文化人類学などの知見を用いて「老い」を鳥撤的に描き出す。老いに付きまとう孤独感や不安は、人間存在の実存的な問いを投げかけつつも、階級などの変数によって「老い」のあり様の差異をも告発する。現代社会における若さの賛美は、裏を返せば「老い」の隠蔽であり、さらには、「一人称の死」の不可視化にも連なる。だからこそ、今「老い」を改めて問い返すことに意味があると考える。本稿の「老い」の考察を通じて、その後、棄老物語分析へと繋げていきたい。
著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Sasaki Yoko
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.13-26, 2016-10-01

「棄老研究」の4種のアプローチ(民俗学・法理学・文学・映像作品)のうち、本稿は文学的アプローチに光をあてる。民俗学は棄老習俗が実在しなかったとしているが、文学的想像力は「老いと死」の深淵を問いかけるテーマとして、棄老を繰り返し登場させている。本稿では戦後の棄老文学の代表作ともいえる、深沢七郎の『楢山節考」、村田喜代子の「蕨野行』、佐藤友哉の『デンデラ」の3作品を扱う。労働力として役立たずの老人を棄てることで、赤貧の村は生き延びる。この棄老の掟は主人公の老婆たちに受容され、棄老地での死は宿命として甘受される。3作品が描き出す絵柄は異なるが、主人公の老婆たちの棄てられることに対するものわかりの良さ、浄土への憧慢と共振することで死を厭わない心性が生み出されることなどが共有されている。本稿では、舞台の空間構成、主人公の死生観、「棄老」のしくみなどを変数に、3作品を比較考察する。This paper adopts a literary approach. Folklorists hold that the practice of kirō (the practice of casting the elderly off intothe wilderness) never actually existed, but in literary imagination, it often appears as a way to explore old age and death.The paper focuses on three stories that can be seen as representative examples of post-war kirō literature: Shichirō Fukazawa's Narayama Bushikō, Kiyoko Murata's Warabinokō, and Yuya Sato's Dendera. By casting out elderly residentswho are unable to work, impoverished villages are able to continue with their daily lives. The elderly women who are themain characters of these stories submit to this practice, accepting it as their fate. Though the details of the three storiesvary, their characters share an attitude of understanding of their own abandonment, avoiding resentment of or resistance totheir deaths and instead filling themselves with longing for the Pure Land. I compare the three stories in terms of theirspatial construction of scenes, the characters' views on death, and their uses of kirō in their plots.