- 著者
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グエン カオ・フアン
野間 晴雄
グエン ドック・カー
チャン アイン・トゥアン
- 出版者
- 人文地理学会
- 雑誌
- 人文地理 (ISSN:00187216)
- 巻号頁・発行日
- vol.58, no.6, pp.588-605, 2006
- 被引用文献数
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<p>本稿の目的は,ベトナム地理学の歴史を前近代の地理的知識の発達から現在の状況まで,その専門分野や方法・手法の変遷と制度や大学での地理学の教育から概観を試みることである。</p><p>前近代は中国の地誌の影響を受け,国家の土地問題や地方行政制度に有用な地理的知識が蓄積され,それらに関連した地図も作成されたが,地誌の体裁は中国の伝統的な形式を超えるものではなかった。</p><p>フランス植民地時代には旧来の地誌の形式を踏襲した自然,経済,歴史・政治地理,統計の4分法が用いられた。マスペロらによる古文書研究所での地名や歴史地理は注目される。自然地理学ではカルスト地形や洞窟学が考古学者や地質学者によって発達した。応用的な地理学分野としては工芸作物の適地利用,灌漑システム,気象観測所の適地調査,フランス人のためのヒルステーション立地などが研究された。</p><p>1930年代になるとフランスの人文地理学の影響が顕著となり,ロブカンやグルーが北部ベトナムの地誌や土地利用研究で活躍した。とりわけグルーの『トンキンデルタの農民』(1936)は空中写真や詳細な地形図を駆使した不滅の業績であるが,第二次世界大戦以後のベトナム地理学では長く忘れられた存在であった。</p><p>現代の地理学は1954年から75年までが一つの画期となる。モスクワ大学を頂点とするソビエト地理学の圧倒的な影響下にあって,地質学,地形学が中心となった。ベトナムの戦後第一世代の多くがこの時期に共産圏諸国の留学生によって占められた。1975年に南北ベトナムの統一が達成されたが,メコンデルタや中部の研究に特色が見いだされる。</p><p>1986年以降のドイモイによる経済開放によって,アングロサクソン系地理学のさまざまな手法や概念が英語メディアを通じて徐々に入ってきたが,その歩みは遅々たるものだった。その間に,リモートセンシングやGISの手法による地域計画が国家事業の観点から重要な役割をにない,地理学の地位を高めた。</p><p>大学における地理学はハノイ大学(現在はベトナム国家大学ハノイ校)の地質学・自然地理学を中心に,景観生態学や地形学,土地管理などの分野が中心の学部と,ハノイ教育大学,ホーチミン大学における経済地理,人文地理学中心のものに大別される。いずれもGIS,リモートセンシングなどを用いたツーリズムや応用地理学的な分野に特色を持つ。</p><p>ベトナムの地理学会は1988年に設立され,ハノイ大学を中心として5年ごと大会を開催しているが,定期刊行物はない。ほかにベトナム国立科学技術アカデミーにも研究者がいて,天然資源,環境,災害が主要テーマとなっている。</p><p>近年は「総合地理学」の名のもとに,人文地理学がベトナムでようやく力を持ち始めている。その対象とするのは人間が作った人文景観や中・小地域でのコミュニティ,都市・農村地理学で,現代ベトナム地理学の台風の目となろうとしている。その一方で,政策・計画や自然地理学と社会経済地理学を重視したソ連流の人文地理学も並存し重要視されている。</p>