著者
ポダルコ ピョートル
出版者
日本スラヴ・東欧学会
雑誌
Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.21-42, 2001-03-31

革命直前、帝政ロシア在日公館は、東京の大使館をはじめ、日本本土(内地)や朝鮮半島、遠東半島に10館の総領事館・領事館があり、その外交官数は約30人だった。1917年10月の社会主義革命直後、新しいボリシエビキ政府の外務大臣に当たる「外務人民委員」トロツキーの、1917年11月26日付(新暦の12月9日)の命令により、ソビエト政権を認めなかった元帝政ロシアの外交官たちは、全員退職させられた。一方、海外諸国で勤めていた外交官たちは、トロツキーの命令に反対し、フランスのパリで集会を行い、元駐ローマロシア大使ミハイル・ギルスを議長とする「大使会議」を設立した。それ以降この大使会議は、海外諸国に在住した元帝政ロシア外交官にとり、彼らの活動の一致をはかるコーディネータ機関になった。駐東京ロシア大使館のスタッフも大使会議との定期的連絡を維持していた。ひきつづき7年間(1918-1924)にわたって、駐日ロシア大使館(「旧大使館」)は、在日ロシア人の代表的な機関であった。例えば、最初から、来日したロシア人亡命者に対して最も面倒をみたのは、本国において正式にロシアを代表するロシア外交官であった。特に、駐日ロシア大使館の経済的・政治的な状況は、他国における帝政ロシアの外交機関と異なっていた。大使館の財政は、第一次世界大戦中に行った軍需発注金をはじめ、義和団乱後の賠償金等からなっていた。また、駐日ロシア大使館のスタッフは、自分たちも亡命生活を送りながらソビエト政権に反対する立場に立っており、極東の各地に居留するロシア人への財政支援の執行をした。外交官は、日本の当局からもロシアの公式の代表的機関として以前通り認められていたので、このような状態にしたがって自分の使命を果たし続けていた。その「政府無しの7年間」にわたって、彼らはシベリアで続いていた反ソビエト闘争を支持したり、シベリア・極東の各地に作られた政府に対する援助を行ったりしたが、日ソ国交樹立の結果、ついに自分たちの活動に終止符を打たざるをえなかった。その直前まで代理大使は、在日ロシア人の地位(「無国籍」)等について、日本政府との話合いを行っていた。1924年末、各領事、副領事、その他の職員は皆3 ヶ月分の給料をもらい、退職させられた。1925年8月4日、日ソ両政府は、大使館や領事館を両国に開設することを決定した。ところが元の外交官は、「新政権」(ソビエト政権)に就職することを希望せず、民間人としての生活を選んだという。
著者
ポダルコ ピョートル エルマコワ リュドミラ 太田 丈太郎 サヴェリエフ イゴリ ミハイロワ ユリア 清水 俊行 中村 善和 安井 亮平 長縄 光男 清水 俊行 澤田 和彦 長縄 光夫 中村 喜和 中嶋 毅 安井 亮平
出版者
青山学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

平成18年4月より22年3月までの4年間に例会を20回、研究会合宿を2回(神戸市立大学、東北大学)行い、この間、研究会のニューズレター『異郷』(年3回発行)をno.21-32計12号を刊行し、論文集『ロシアと日本』を2冊(vol.7,8,2008年3月、2010年3月)を刊行した。