- 著者
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光延 忠彦
ミツノブ タダヒコ
MITSUNOBU Tadahiko
- 出版者
- 千葉大学大学院人文社会科学研究科
- 雑誌
- 千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
- 巻号頁・発行日
- no.28, pp.58-72, 2014-03
1955年の自民党の成立以降65年の「刷新都議会選挙」までの間、東京都議会(都議会)内では自民党の多数が継続されたが、当該選挙を分岐に多数党は存在しない政党配置にそれは変容した。その後、東京都の自民党は、都内一部の選挙区での補選で勝利して一時的に多数を占めたことはあったものの、ほぼ少数の勢力で推移した。 65年の都議会選挙において東京都の自民党が少数化した直接的要因は、都議会議長の交替に伴う贈収賄事件とされてきた。しかし、一方で、65年の都議会選挙で東京都の公明党や東京都の民社党も議席を獲得したことから、都議会は、「多党化の時代」を迎えることにもなった。こうしたことから、65年の「刷新都議会選挙」は、戦後都議会内の政党配置に決定的な変化をもたらす契機となったのである。 そこで、東京都の自民党は、いかなる要因から長期に低迷して少数にならざるを得なかったのか。本稿は、この点に、「政党組織の候補者選定」という視角から一定の解答を提出する。政党による「候補者調整と政党間の棲み分け」が、東京都の自民党組織の消長に影響したという結論を、「刷新都議会選挙」の前と後との、東京都の自民党勢力の比較を通じて提出する。 ところで、こうした研究は、一中核自治体の議会選挙の分析ではあるが、しかし、それとともに、大都市部における自民党組織の集票活動は如何なる状況なのか、この点についても示唆が得られる意義を有する。