著者
光延 忠彦 ミツノブ タダヒコ Tadahiko Mitsunobu
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.12, pp.24-37, 2006-03

1990年代初頭、国政上の利害から都政を擁護するという点で、鈴木都政は、有権者に支持され、それが現状の継続に帰結した。しかし、80年代の政策志向を変更する世論は都政内外に強く、そうした声に促され、鈴木都政は臨海計画の見直しと住宅政策の充実に90年代前半期には踏み出す。こうした政策変更は、都議会公明党の主張でもあったため、90年代前半期には、同会派の政治態度を変更させる要因となった。背景には、多党化と多数党の欠如という政党配置の構造が、政策形成に際しては少数会派の主張を過大代表するという点があったのである。しかし、以上の政策決定は、議会内多数派の主張には沿っても、政党の党派的動員力の限定性がゆえ、多くの有権者には理解されなかった。その結果、有権者は、むしろ新しい勢力に都政の転換を託した。都政における構造性に党派的動員の低下という政治的条件が加わって都政の政党政治は弱化していたのである。
著者
光延 忠彦 ミツノブ タダヒコ MITSUNOBU Tadahiko
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-16, 2007-03

1990 年代の都知事選挙においては、95 年に青島候補が、また99 年には石原候補が勝利して東京都政を担ったが、両者はともに政党から距離を置く候補の点では共通しながらも、青島都政は一期で退場したのに対し、石原都政は二期目を続行中である。興味深いことに、こうした差異の説明では、ジャーナリズムに見られる政治家のリーダーシップ論が典型的である。しかしながら、ここでの議論では政治家個人の資質に関わるものが中心で、分析を通じて何らかの理論的課題が提出されるという点では必ずしも十分ではない。そこで本稿は、青島都政では挫折した政治的リーダーシップが、なぜ石原都政では達成し得たのか、この点に一定の解答を付すべく知事と議会の関係から接近し、政治的リーダーシップを制度的要因から考える。
著者
光延 忠彦 ミツノブ タダヒコ MITSUNOBU Tadahiko
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.28, pp.58-72, 2014-03

1955年の自民党の成立以降65年の「刷新都議会選挙」までの間、東京都議会(都議会)内では自民党の多数が継続されたが、当該選挙を分岐に多数党は存在しない政党配置にそれは変容した。その後、東京都の自民党は、都内一部の選挙区での補選で勝利して一時的に多数を占めたことはあったものの、ほぼ少数の勢力で推移した。 65年の都議会選挙において東京都の自民党が少数化した直接的要因は、都議会議長の交替に伴う贈収賄事件とされてきた。しかし、一方で、65年の都議会選挙で東京都の公明党や東京都の民社党も議席を獲得したことから、都議会は、「多党化の時代」を迎えることにもなった。こうしたことから、65年の「刷新都議会選挙」は、戦後都議会内の政党配置に決定的な変化をもたらす契機となったのである。 そこで、東京都の自民党は、いかなる要因から長期に低迷して少数にならざるを得なかったのか。本稿は、この点に、「政党組織の候補者選定」という視角から一定の解答を提出する。政党による「候補者調整と政党間の棲み分け」が、東京都の自民党組織の消長に影響したという結論を、「刷新都議会選挙」の前と後との、東京都の自民党勢力の比較を通じて提出する。 ところで、こうした研究は、一中核自治体の議会選挙の分析ではあるが、しかし、それとともに、大都市部における自民党組織の集票活動は如何なる状況なのか、この点についても示唆が得られる意義を有する。
著者
光延 忠彦 ミツノブ タダヒコ MITSUNOBU Tadahiko
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.16, pp.31-41, 2008-03

1965年の「刷新都議会選挙」まで都議会内では主に自民党が多数を維持したが、この選挙を分岐に多数党は登場しない政党システムに都議会は変容した。この意味でこの選挙は、戦後の都議会の政党配置に重要な変化をもたらす契機となったのである。その後、都議会では多党化の中で「合意の政治」が展開されるが、しかし、一方では二元的代表制の「民意」の集約に「課題」を残す結果ともなった。そこで本稿は、選挙時とは異なる「民意」の可能性が議会内でなぜ昂じることになったのか、この点に興味深い説明を試みる。
著者
光延 忠彦 ミツノブ タダヒコ MITSUNOBU Tadahiko
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.21, pp.1-13, 2010-09

政党政治が「都政」において扱う対象の変遷は、「五五年体制」成立以降、60年代前半期までの「保守都政」、60年代後半から70年代までの「革新都政」、さらに、80年代から90年代にかけての「保守中道都政」へと推移した。90年代に入って、政党の支持を受けない知事が登場すると、「無党派都政」とまでいわれ、「都政」はこれまで政党間の対立と協調による伝統的なダイナミズムによって語られてきた。 しかしながら、こうした見方に立つと、自民、公明などの政党の支援を受けた知事候補に対抗して、政党からの協力を得ずして勝利した青島知事は、都議会内において少数の勢力の支持さえ困難であったにも拘らずなぜ「都政」を運営できたのかという疑義が生じる。そこで、本稿は、知事選挙における政党の支持の状況を、都政における知事のリーダーシップの在り方に帰する既存の議論とは異なる点から都政を検討する。