- 著者
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モロジャコフ ワシ―リー
- 出版者
- 拓殖大学国際日本文化研究所
- 雑誌
- 拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (ISSN:24336904)
- 巻号頁・発行日
- vol.6, pp.37-59, 2023-03-25
本稿の目的は、一九四〇年の日本の仏印(インドシナ)進駐政策に対するヴィシー政権(フランス)の主役たちの意見と立場、その相互関係と決定の過程を解明することにある。本稿では、「政治」よりも、むしろ「政治家」にフォーカスした。そして、本稿では主な資料として、外交文書や新聞・雑誌の記事よりも、むしろ政治家たち― フランス国主席兼首相アンリ・フィリップ・ペタン元帥(Henri-Philippe Pétain; 一八五六~一九五一年)、外務大臣ポール・ボドゥアン(Paul Baudouin; 一八九四~一九六四年)、植民地大臣であったアルベール・リヴィエール(Albert Rivière; 一八九一~一九五三年)、アンリ・レムリ(Henry Lémery; 一八七四~一九七二年)とシャルル・プラトン海軍小将(Charles Platon;一八八六~一九四四年)の三人、国防大臣マキシム・ウェイガン陸軍上級大将(Maxime Weygand; 一八六七~一九六五年)、極東艦隊指揮官のちインドシナ総督ジャン・ドクー海軍中将(Jean Decoux; 一八八四~一九六三年)―のステートメント、ノート、日記、回想録を採用した。彼らはそれぞれ一流の知識人として、自身の専門的、総合的知識と分析能力に基づいて事情を把握、分析して、様々な方針を提案し、決定した。