著者
小枝 義人
出版者
拓殖大学国際日本文化研究所
雑誌
拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (ISSN:24336904)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.141-168, 2023-03-25

池田勇人の首相政務秘書官、池田が創始した自民党の派閥「宏池会」事務局長、首相・大平正芳のブレーンも務めた政治評論家・伊藤昌哉の死後、筆者は淳夫人から伊藤の遺した大量の未公開史料を譲り受けた。本稿は、その中にあった草創期の宏池会に関する未公開史料を解析・検証したものである。内容は一九六四年一〇月の東京オリンピック後間もなく病気のため首相を辞任する池田の退陣表明文案、後継指名に至る政局シミュレーションと池田亡き後の宏池会の展望が中心である。前者は二〇〇字詰め原稿用紙二枚、後者は二五枚に亘り、いずれもブルーのインクで記されている。本稿が今後の戦後日本政治史研究の一助となれば幸いである。
著者
モロジャコフ ワシ―リー
出版者
拓殖大学国際日本文化研究所
雑誌
拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (ISSN:24336904)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.59-74, 2018-03-30

本論文では、満州事変前後を中心に、日本大陸政策・植民政策に対するフランス知識人の見方を調査・分析する。列強の政府と政治エリートが、満州への日本の拡大・進出を「侵略」と批判した時、欧米の世論とメディアはほとんど全て反日になった。フランス政府も日本の政策を非難したが、知識人の一部、主に右翼評論家は、日本の行動を支持、弁護していた。本論文は主に、中国国内の「無秩序」とソビエト・ロシアの「赤い侵略」を非難する一方、日本を「秩序の代表」と見なしたフランス人政治評論家・法学者の著作を検討する。
著者
伏見 岳人
出版者
拓殖大学国際日本文化研究所
雑誌
拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (ISSN:24336904)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.105-140, 2023-03-25

本論文は、「オンライン版後藤新平文書」に所蔵されている桂太郎や小松原英太郎らの後藤新平宛書簡などの資料を読み解き、台湾協会学校、東洋協会専門学校、拓殖大学に至るまでの学校運営に、後藤がいかに関わっていたのかを、一次資料に基づいて論じたものである。草創期の台湾協会学校に対する台湾総督府の補助金交付や、日露戦後の東洋協会への組織改編過程、桂没後の小松原会長時代の拓殖館設立構想などに関する後藤の関与の実態を明らかにした上で、大正八(一九一九)年に小松原の後を継いで東洋協会会長と拓殖大学学長に就任する過程を、当時の資料からあらためて再現し、植民地経営に尽力する人材育成に後藤が強い関心を抱いていた様相を歴史資料から考察する。
著者
澤田 次郎
出版者
拓殖大学国際日本文化研究所
雑誌
拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (ISSN:24336904)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.75-228, 2021-03-25

本稿は一八八六(明治十九)年から一八九六(明治二十九)年にかけて、陸軍参謀本部の情報将校・福島安正がユーラシア大陸で行った四つの視察旅行を検証した。すなわち、①英領インド調査、②バルカン半島視察、③シベリア単騎横断旅行、④亜欧旅行(とくにペルシャと中央アジア)である。これらを通観した上でいえることは、第一に福島の視野の広さである。ベルリン駐在時の福島は任地のドイツ軍や独露国境地帯のロシア軍の兵力を調べるとともに、ロシアの中央アジア鉄道、シベリア鉄道建設に注目してその動きを追うなど、ユーラシア大陸全体に目を配っていた。第二にヨーロッパ、中近東、中央アジア、インド、新疆、モンゴル、シベリアをめぐるロシアの動向を、東アジア、日本とリンクさせながら地政学的に観察していることである。ユーラシア大陸という大きなチェスボード全体を見渡しながら、福島はロシアの黒海・中近東、アフガニスタン、北東アジアへの南下の動きを総合的、有機的に捉えていた。第三にインド調査を除く三つの旅行を自分で企画、提案、実行したことである。その際、一つの旅行が次の課題を生み、さらに新たな旅行へとつながっていった。その結果として、第四に福島は、ロシアをその南部周縁部から監視するラインを創造した。すなわちトルコ─ペルシャ─中央アジア、モンゴル─満洲─シベリアのラインである。その萌芽は遅くともバルカン半島視察時の一八八九(明治二十二)年十二月に見ることができる。以後、このロシア監視ラインの視点が陸軍情報部の伝統となり、そうした発想が一九三〇年代における昭和陸軍の「防共回廊」構想につながっていくと考えられる。
著者
モロジャコフ ワシ―リー
出版者
拓殖大学国際日本文化研究所
雑誌
拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (ISSN:24336904)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.37-59, 2023-03-25

本稿の目的は、一九四〇年の日本の仏印(インドシナ)進駐政策に対するヴィシー政権(フランス)の主役たちの意見と立場、その相互関係と決定の過程を解明することにある。本稿では、「政治」よりも、むしろ「政治家」にフォーカスした。そして、本稿では主な資料として、外交文書や新聞・雑誌の記事よりも、むしろ政治家たち― フランス国主席兼首相アンリ・フィリップ・ペタン元帥(Henri-Philippe Pétain; 一八五六~一九五一年)、外務大臣ポール・ボドゥアン(Paul Baudouin; 一八九四~一九六四年)、植民地大臣であったアルベール・リヴィエール(Albert Rivière; 一八九一~一九五三年)、アンリ・レムリ(Henry Lémery; 一八七四~一九七二年)とシャルル・プラトン海軍小将(Charles Platon;一八八六~一九四四年)の三人、国防大臣マキシム・ウェイガン陸軍上級大将(Maxime Weygand; 一八六七~一九六五年)、極東艦隊指揮官のちインドシナ総督ジャン・ドクー海軍中将(Jean Decoux; 一八八四~一九六三年)―のステートメント、ノート、日記、回想録を採用した。彼らはそれぞれ一流の知識人として、自身の専門的、総合的知識と分析能力に基づいて事情を把握、分析して、様々な方針を提案し、決定した。
著者
丹羽 文生
出版者
拓殖大学国際日本文化研究所
雑誌
拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (ISSN:24336904)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.169-187, 2023-03-25

第二次世界大戦後、日本の敗戦に伴って蔣介石率いる「中華民国」政府(国府)に接収された台湾に、中国大陸から続々と中国兵や民間人がやって来た。彼らは汚職、腐敗に加え、強盗、万引き、強姦といった暴虐の限りを尽くし、社会全体が乱れに乱れた。そして、ついに台湾の人々の憤怒が爆発し、一九四七年二月二八日、民衆蜂起「二・二八事件」が起こった。すると間もなく中国大陸から派された国府の援軍による無差別殺戮が始まり、反体制派と見做された多くの台湾人が投獄、処刑された。犠牲者数は三万人近いと言われている。これを機に日本に亡命、生涯に亘り「中華民国」体制からの「独立」を目指し台湾独立運動に挺身したのが王育徳だった。本稿は、王育徳が中心となって結成された「台湾青年社」の機関紙『台湾青年』第六号(一九六一年二月二〇日)の「二・二八特集号」のうち、事件の顛末を綴った「二・二八事件日誌」と、王育徳のエッセイ「兄王育霖の死」を、解説を附して翻刻したものである。
著者
モロジャコフ ワシ―リー
出版者
拓殖大学国際日本文化研究所
雑誌
拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (ISSN:24336904)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.33-55, 2019-03-29

本論文は、満州事変以後、日本の大陸政策・植民地政策に対するフランス知識人の見解を調査・分析するものである。列強の政府と政治エリートたちが、満州での日本の行為を「侵略」と非難した際、欧米の世論とメディアはほとんど全て反日になった。フランス政府と政界もまた日本の政策を非難したが、知識人の見解は分かれた。その一部は日本の行動を弁護し、他の一部は国際連盟と中国の反日政策を支持した。本論文では、この二つの派閥それぞれについて、フランス人政治評論家・法学者等の著作を検討する。
著者
ペマ ギャルポ
出版者
拓殖大学国際日本文化研究所
雑誌
拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (ISSN:24336904)
巻号頁・発行日
no.3, pp.119-142, 2020-03

国際社会におけるインドの存在感が徐々に高まりつつある。人口一三億人を超え、経済面でも著しい成長を続けるインドは、近い将来、「世界の工場」と称される中国を追い越すと見られている。インドは日本にとっても極めて重要なパートナーである。日印関係の歴史は古く、特に近年では二〇〇〇年八月に森喜朗首相とヴァジパイ首相との間で「二一世紀における日印グローバル・パートナーシップ」を発出、その後、徐々に深化を遂げて二〇〇六年一二月に「日印戦略的グローバル・パートナーシップ」、さらに内容が具体化していき、二〇一四年九月のモディ首相来日に際して安倍晋三首相と「日印特別戦略的グローバル・パートナーシップ」を発した。この間、首相間の年次相互訪問を筆頭に、安全保障分野においても防衛大臣間、あるいは国家安全保障局間で定期協議が開催されており、日印合同の軍事演習も行われた。中国が進める「一帯一路」構想は、明らかに経済・軍事面での習近平政権の覇権主義傾向と密接に繫がっている。インド洋沿岸諸国の港湾開発を支援する「真珠の首飾り」戦略も人民解放軍の足場を置くことで海上交通路を確保しインド洋を自らの勢力下に収めようとするものである。インド、そして日本は、そんな中国とどう向き合い、どう対峙すべきなのか。歴史的切り口から論じてみたい。
著者
モロジャコフ ワシ―リー
出版者
拓殖大学国際日本文化研究所
雑誌
拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (ISSN:24336904)
巻号頁・発行日
no.3, pp.45-66, 2020-03-25

本論文は、支那事変を中心にして、日本の大陸政策・植民地政策に対するフランス知識人の見解を調査・分析するものである。列強の政府と政治エリートたちが、満州・中国での日本の行為を「侵略」と非難した際、欧米の世論とメディアはほとんど全て反日になった。フランス政府と政界も日本の政策を非難したが、知識人の見解は分かれた。その一部は日本の行動を弁護し、支持した。本論文では、この二つの派閥それぞれについて、フランス人政治評論家・作家の著作を検討する。