著者
三田村 雅子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.52-59, 2007-03-10

源氏物語は教育システムとして、婦女子教育の教訓書として読まれてきた長い享受の歴史を持っている。女性たちの生き方それ自体が、どう生きるべきかの見本であり、反面教師であった。明治以後の教育現場における源氏教育も、まさにその点に配慮した良妻賢母紫式部像を構築し、そのもとで、「正しい」源氏物語教育が推し進められてきたのである。しかし、源氏物語が一面では女性のための教訓書的な側面があることは否定できないにしても、禁断の恋とその結果の子供出生、その子の即位、あるいは栄達というテーマがそうした教訓性を裏切る論理を提示していることは間違いなく、扱いようによっては爆弾となりかねない危険なテーマを抱えつつ、その教育という側面を延ばして、源氏物語教育が行われてきたのであった。しかし、実際に源氏物語を学び、源氏物語を再現することに特別の興味・関心を寄せたのは、女性ではなく男性の権力者たちであった。男性たちは源氏物語をどのように学び、どのように役立てたか。女性たちはそれをどう受け止めたか、源氏絵に描かれた世界と雛の源氏の側面から、教育としての源氏物語の問題を考えてみたい。