- 著者
-
中島 芽理
- 出版者
- 一般社団法人 人文地理学会
- 雑誌
- 人文地理 (ISSN:00187216)
- 巻号頁・発行日
- vol.74, no.2, pp.155-177, 2022 (Released:2022-07-19)
- 参考文献数
- 90
- 被引用文献数
-
2
本稿では1960~70年代の大阪府の釜ヶ崎を事例として,東京都の山谷の事例も交えながら,アルコール依存症の様々な回復システムが生産される過程を「癒しの景観」という概念を用いて明らかにする。日本では近代以降,男性中心の飲酒慣行が形成されてきた。そのため,アルコール依存症も男性特有の疾病とみなされてきた。医療機関と日本の家父長制的な飲酒慣行に即して発足した自助グループである断酒会によって,まず治療の対象とされたのは,家族のある依存症者であった。単身アルコール依存症者は,既存のシステムに包摂されることによって,かえって排除の対象となった。それは,単身男性労働者に特化した地域として構築された寄せ場において,「問題」として前景化した。山谷では,断酒会や医療機関の無力が新たな主体を生じさせ,AA(Alcoholics Anonymous)という組織が展開した。釜ヶ崎では医師が軸となって断酒会や行政,民間福祉団体に対して働きかけが行われ,単身アルコール依存症者の回復が目指された。これにより,断酒会の方法を唯一のものとする「大阪方式」が確立された。このように,アルコール依存症の「癒しの景観」は偶有的な過程においてつくられるものであり,それぞれの地域における主体の布置によって異なるものとなった。