著者
三木 安正 波多野 誼余夫 久原 恵子 井上 早苗 江口 恵子
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.1-11, 1964-03

以上のべたように,われわれは双生児の対人関係の発達をさまざまな面から検討してきた。その主な結果は,以下の点に要約されよう。(1)親との関係双生児は,対の相手を持っているという特殊な条件のために,一般児と比較した時に,親との関係において差があるのではないか,すなわち,双生児は相手に対して依存的であるために,親からの独立は一般児におけるほど抵抗がなく,早くすすむのではないか,あるいは反対に,相互に依存的であることは親に対しても依存傾向が汎化し,一般児より親からの独立がおくれるのではないかという予想をもっていたのであるが,これらは,いずれも否定され,双生児と一般児の間に有意な差がほとんど認められなかった。これに対しては,母親に対する依存は対の相手に対するそれとは,質的に異なったものではないかという理由が考えられる。(2)友だちとの関係双生児の対の相手が,親友の役割りを果たしてしまうことから,双生児の友だち関係は一般児の場合に比べ発表しにくいのではないか,という予想をもっていた。結果は予想どおりで,双生児は友だちに依存することが少なく,かつまた友だちそのものを求めることが弱いようであった。相手に強く依存しているときにはとくにこの傾向が著しい。(3)双生児の自主的傾向.双生児の対の相手の存在が双生児の自主的僚向の発達を妨げてしまうことがあるのではないか,という予想も,ほぼ支持された。すたわち,一般児にくらべ双生児,しかも相手とのむすびつきが強い双生児ほど,自分で決める回数が少なく,他人の決定に従うことが多いことが見出された。第I報(三木安正ほか,1963)にも述べたように,われわれは対人関係の発達は,依存から自立へとすすむという従来の考え方に加えて,その過程として,依存性の発達をとおしての自立ということを考えてきたわけである。すなわち,人間は,赤ん坊時代の,まったく依存している状態から,成長するにつれて自立性を獲得していくのであるが,それは,依存傾向がしだいに禁止されるというのではなく,依存のしかたに変化がおきて依存の質が変っていくというプロセスをたどっていくものと考えているのである。従来,自立性は自分の意志を貫きとおせること,自分ひとりでものごとを処理できること,ひとりでいられること,などというその最終的な現象面が強調されてきた(たとえばHeathers,1955)。そのために,ひとりでおくことや依存を禁止することが自立性の確立のために有益である,と考えられていたようである。けれどもわれわれは,自立性とはいろいろなものに、じょうずに依存し,しっかりした依存構造のうえにたった自己の確立であるという見方が必要であり,かつまたこのような見方こそが,教育の場において有効であると考えている。すなわち,特定の対象への中心化から脱して,さまざまなものに依存しているという状態が自立性の発達する可能性を与えると考えているわけである。この点に関連して,今回の研究により示唆されたことを次に述べよう。
著者
三木 安正 波多野 誼余夫 久原 恵子 井上 早苗 江口 恵子
出版者
一般社団法人 日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.1-11,59, 1964-03-30 (Released:2013-02-19)
参考文献数
3
被引用文献数
1

以上のべたように, われわれは双生児の対人関係の発達をさまざまな面から検討してきた。その主な結果は, 以下の点に要約されよう。(1) 親との関係双生児は, 対の相手を持つているという特殊な条件のために, 一般児と比較した時に, 親との関係において差があるのではないか, すなわち, 双生児は相手に対して依存的であるために, 親からの独立は一般児におけるほど抵抗がなく, 早くすすむのではないか, あるいは反対に, 相互に依存的であることは親に対しても依存傾向が汎化し, 一般児より親からの独立がおくれるのではないか, という予想をもつていたのであるが, これらは, いずれも否定され, 双生児と一般児の間に有意な差がほとんど認められなかつた。これに対しては, 母親に対する依存は対の相手に対するそれとは, 質的に異なつたものではないかという理由が考えられる。(2) 友だちとの関係双生児の対の相手が, 親友の役割りを果たしてしまうことから, 双生児の友だち関係は一般児の場合に比べ発展しにくいのではないか, という予想をもつていた。結果は予想どおりで, 双生児は友だちに依存することが少なく, かつまた友だちそのものを求めることが弱いようであつた。相手に強く依存しているときにはとくにこの傾向が著しい。(3) 双生児の自主的傾向双生児の対の相手の存在が双生児の自主的傾向の発達を妨げてしまうごとがあるのではないか, という予想も, ほぼ支持された。すなわち, 一般児にくらべ双生児, しかも相手とのむすびつきが強い双生児ほど, 自分で決める回数が少なく, 他人の決定に従うことが多いことが見出された。第I報 (三木安正ほか, 1963) にも述べたように, われわれは対人関係の発達は, 依存から自立へとすすむという従来の考え方に加えて, その過程として, 依存性の発達をとおしての自立ということを考えてきたわけである。すなわち, 人間は, 赤ん坊時代の, まつたく依存している状態から, 成長するにつれて自文性を獲得していくのであるが, それは, 依存傾向がしだいに禁止されるというのではなく, 依存のしかたに変化がおきて依存の質が変つていくというプロセスをたどつていくものと考えているのである。従来, 自立性は自分の意志を貫きとおせること, 自分ひとりでものごとを処理できること, ひとりでいられること, などというその最終的な現象面が強調されてきた (たとえばHeathers, 1955)。そのために, ひとりでおくことや依存を禁止することが自立性の確立のために有益である, と考えられていたようである。けれどもわれわれは, 自立性とはいろいろなものにじようずに依存し, しつかりした依存構造のうえにたつた自己の確立であるという見方が必要であり, かつまたこのような見方こそが, 教育の場において有効であると考えている。すなわち, 特定の対象への中心化から脱して, さまざまなものに依存しているという状態が自立性の発達する可能性を与えると考えているわけである。この点に関連して, 今回の研究により示唆されたことを次に述べよう。(1) 依存の対象・位置 依存の対象となるものは, それぞれ独自の機能を果たしていると考えられる。IIIでみたように, 双生児も一般児も, 親との関係では差がみられなかつた。双生児は, 相互の結びつきの強い, 同性で同年令の相手を持つているにもかかわらず, そのことによつて親への依存は, ほとんど影響をうけてはいなかつた。親は年令も違うし役割りもちがい, とうてい対の相手ではかわることのできぬ存在なのであろう。3. 3. でも述べたように, 双生児はたしかに対の相手になんでも話し相談するが, 親に相談しなくてはならぬ領域 (たとえば, 進路の決定) も多いことからも, 親が果たしている機能は, 相手のそれとはまた別のものであることがうかがわれよう。もし, 依存構造というものを仮定するならば, その構造の中に親のしめる位置が分化してあり, 他のもの (この場合には, 双生児の対の相手) によつては代用されにくいということが考えられよう。これとは異なり, 依存の対象として比較的よく似た機能をはたしている者相互においては,“代用される”という現象が十分生じうるであろう。事実このことは3. 2., 3. 3. にも示されている。第1に双生児では, 友だちとのむすびつきが一般児よりも弱いということがそれである。そして, さらに3. 3. で分析したように双生児の相手へのむすびつきの強い場合は, 友だちに相談することが少なく, 反対にむすびつきの弱い場合には, 友だちとのむすびつきが強くなつている。みかたをかえれば, 友だちとのむすびつきが強まるにつれて, 相手へのむすびつきが弱まるということである。これは双生児の片方は, 他方に対して友だちの役割り, またはそれ以上のものを果たしてしまうということにもとつくものであろう。友だち-そのほとんどが同年令 (同学年) で同性と考えられる-の機能は, 同年令で同性である対の相手がいつも身近にいるということで, すでにお互いの間で果たされてしまつていて, あらためてわざわざ他に求める必要がおきないのだ, という解釈が妥当のように思われる。“代用される”という点については, 同じく3. 2., 3. 3. で明らかになつたもうひとつの証拠が注目される。それは, 双生児と他のきようだいとの関係は, 友だちの場合にくらべて, 一般児とそのきようだいとの関係にかなり近い, ということである。今回の研究では, 年令の隔たりについての資料がないので, はつきりはつかめないが, 双生児の相手以外のきようだいとの関係は, 年令の隔たりが大きければそれだけ一般児のきようだいとの関係に似てくると予想される。つまり, 依存構造のなかで, 同性で同年令である友人の場所には, 対の相手がおさまつているのだが, 年令のちがうきようだいの位置は, 友だちの場合とはちがつて, 相手では代用されにくい。依存構造の中には, それぞれ質のちがう対象が, おのおのの位置を占めているのだが, 双生児の場合には対の相手がいるため, 相手とよく似た質のものが, すなわち, 友だちや年令の近いきようだいの必要度が小さくなつているのではないだろうか。とくに相手との結びつきが強いときには, この傾向が著しくなるのであろう。(2) 依存の対象の数と距離依存の対象は, 成長するにつれて, 増えていく。親, 教師, きようだい, 友だち, 他人……という具合に増えていくことが知られている。そして, 対象は数が増えると同時に, 身近なものから, 遠い存在のものへと, あるいは現実的なものから抽象的なものへと, その範囲が拡がり, その距離が遠くなる。つまり, 依存の対象は, 徐々にその数と距離とを増したものまでを含めることができるようになつていく。このようなプロセスで, 依存性が発達していくにつれて自立性が獲得される。すなわち, 多くのものに依存している状態は, いいかえればある特定の対象に中心化することがない状態である。したがつて, ある対象によつて行動が左右されてしまう, ということは, 少なくなる。他人に左右されることの少ない, 行動の柔軟性と均衡とを持つことができるのである。このことが, 自立性の発達する前提条件だと考えているわけである。このように考えていくと, 成長のプロセスにおいて, 依存の対象として, 友だちを必要とすることの少ない双生児に, 問題がないとはいえないであろう。双生児は一般に結びつきが強い。われわれが, 幼児双生児について行なつた積木あそびの観察 (久原恵子ほか, 1963) では以心伝心型とよばざるをえないコミュニケーションが多かつたし, また今回の面接においては, 「相手に話していると, 自分に話している感じがする」(中1, 女子) と0いう発言があつたほど, 一体感を持つことが多いようである。双生児においては, ふたりでありながら, ひとりのような感じのする対の相手が, 全然ちがう個体であり, しかも, 全然ちがうものを持つているはずの友だちの役割りまで果たしてしまうことになる。このことは, 次の2点で重要である。ひとつには, このために特定の, 対象への中心化に伴なうマイナスがいつそう大きくなるであろう。中心化される対象が自分といろいろな点で異なつているであろう「親友」などの場合にくらべ, 双生児の中心化する相手は, ある意味では自分自身にほかならない。第2に, このためにこそ, 中心化していることの不都合さが意識されず, 相手に対する依存がいつまでも強いままで, 脱中心化が生じにくい。つまり, 対の相手に強く依存している双生児は, 依存の発達のステツプを踏みはずしてしまうことになりかねない。この点について, われわれは, さらに別の面から別の方法でアプローチするつもりであるが, 3. 2., 3. 3. に述べた, 双生児の自主的傾向の未発達は問題の一端を示しているのではないであろうか。
著者
久原 恵子 波多野 誼余夫
出版者
The Japanese Association of Educational Psychology
雑誌
教育心理学研究
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.65-71,121, 1968

1次元上の値により定義される概念の学習過程において, 子どもの知的発達の程度により, 不適切次元の数, 適切次元の直観性がどのような影響をもつかを調べるために2実験を行なった。<BR>主な結果は次のとおりである。<BR>1) 不適切次元数の効果不適切次元数が増えると課題は困難になる, という結果が得られた。この抑制的効果は, この実験で扱った被験者の範囲では, 知的発達の程度 (MA) と関係なく認められた。すなわち, Oslerらの仮説は否定された。<BR>この効果が小さいのは, 適切次元の直観性が高く, かつ学習者が直観的印象の集積にもとついて適切手がかりを発見する場合であろうという予想も支持されていない。しかし, この点については, あらかじめ全変化次元を教えない事態であらためて検討する必要があろう。<BR>2) 適切次元の直観性の効果適切次元を直観的にとらえられやすいものにした場合には課題は容易になる。この効果は, 学習前に変化次元のすべてに気づかせる手続きをとった場合にも生ずる。この効果が小さいのは, 体系的に仮説を吟味していく学習者 (形式的操作期の子どもであればこの条件を十分充たすであろう) すなわち, 知的発達の程度 (MA) が相対的に高い場合であると思われる。これは実験I, II で, ともに支持された。<BR>Brunerほか (1956) のいうような方略は, すべて仮説が等価なものであるときにのみ適用可能であることを考えれば, この結果のもつインプリケーションはあきらかであろう。形式的操作期の子どもにとっては, 刺激のそれぞれの手がかりは, 一種の命題的性格を与えられる結果, 等価とみてなされており一おとなの実験者にとっもそうなのであるが一, したがっていったん適切でないとわかった手がかりに固執することはない。しかし, 知的発達の低い段階においては, 仮説の選択を順次行なっていく能力が欠けているばかりでなく, 各次元が等価でないため, 検証一棄却の論理的手続きも不能となるのである6<BR>3) 不適切次元数と適切次元の直観性の交互作用<BR>不適切次元数がふえるほど, 適切次元の直観性の寄与が大となる, という予想は, 今回の実験からは, 実験II の小4を除いて統計的には確かめられなかった。<BR>なおさらに, これと, 知能との交互作用すなわち, 適切次元の直観性が高いときには, 不適切次元数の増加がもつ抑制的効果は知能の高いものにおいて大きいが, 直観性が低いときには知能の低いものにおいて大きい, という傾向が実験IIにおいてみられたことは注目してよかろう。