3 0 0 0 OA 旧仏教の逆襲

著者
亀山 光明
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.93, no.1, pp.25-49, 2019 (Released:2019-09-30)

本稿が対象とする「正法運動」と「新仏教運動」は明治期を代表する仏教者の二大運動である。前者を指導した釈雲照(一八二七―一九〇九)は、江戸期の僧侶として前半生を過ごし、維新期における廃仏毀釈の嵐に際会すると、「戒律」の復興こそが仏教の復興につながると確信し、幅広い活動を展開した。他方で後者の新仏教運動は、保守的な教界に反発を抱く青年仏教徒たちによるユースカルチャーとして成立した。彼ら新仏教徒たちは雲照の思想を乗り越えるべき「旧仏教」と位置付けることで、その対立は先鋭化する。中世から近世にかけては、多くの律僧たちが戒律復興を試みたように、「戒律」は仏教刷新の中心的イデオロギーの一つであったことは注目に値する。そのため近代仏教において、「戒律」の位相を再検討することは、在家と出家者の区別が曖昧になるとされる日本仏教の近代への新たな理解をもたらすと考えられる。本稿はかかる問題意識の下に、明治期の二つの仏教運動の衝突の考察を試みるものである。
著者
亀山 光明
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.93-110, 2021-03-31

2000 年代以降の近代日本宗教史研究において、「宗教 religion」なる概念が新たに西洋からもたらされることで、この列島土着の信念体系が再編成されていったことはもはや共通理解となっている。とくにこの方面の学説を日本に紹介し、リードしてきたのが宗教学者の磯前順一である。人類学者のタラル・アサドの議論を踏まえた磯前によると、近代日本の宗教概念では、「ビリーフ(教義等の言語化した信念体系)」と「プラクティス(儀礼的実践等の非言語的慣習行為)」の分断が生じ、前者がその中核となることで、後者は排除されていったという。そして近代日本仏教研究でも、いわゆるプロテスタント仏教概念と親和性を有するものとして磯前説は広く取り入れられてきたが、近年ではその見直しが唱えられている。 こうした研究史の動向を踏まえ、本稿は明治期を代表する持戒僧・釈雲照(1827 ~ 1909)の十善戒論を考察する。歴代の戒律復興運動の「残照」とも称される雲照は近代日本社会において戒律の定着を目指した幅広い活動を展開し、その営為は明治中期に全盛期を迎える。さらに本論では従来の「持戒―破戒」という従来の二元的構図に対し、在家教化のために戒律実践がいかに語られたのかに着目する。ここで雲照は儀礼や日々の勤行などの枠組みで「心」や「信」などの内面的領域を強調しながら、その実践の体系化に努めている。さらにその語りは、伝統的に非僧非俗を貫き易行としての「念仏」を唱えてきた浄土系教団に対抗しながら、十善戒こそが真の「易行」であり、文明の道徳社会に相応しい実践とするものであった。本稿はこの雲照の戒律言説の意義を近代日本宗教史に位置付けることを試みるものである。