著者
石田 智子 大石 博美 八子 圭子 小黒 弘美 佐藤 ちよ子 山本 卓 殷 煕安
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.147, 2005

【はじめに】<BR>2004年10月23日17時56分中越地震発生。当日医師1名、看護師4名、臨床工学士2名で外来患者29名(内護送9名)の二部透析中だった。地震発生当日から依頼透析を経て透析再開に至るまでの4日間の経過をまとめたので、ここに報告する。<BR>【経過】<BR>地震当日<BR>17時56分震度6弱の地震発生。度重なる余震があり3回目の余震時配管の破損により水の供給が停止、水漏れがセンター内に広がる。この様な状況の中で、医師より指示があり返血を開始する。<BR>18時11分、5回目の余震で天井からも水が漏れる。更に蛍光灯が次々に落下したため返血から離脱へ指示が変更になる。<BR>18時30分離脱完了後センター床には、割れた蛍光灯が散乱、足首まで水がきており、入り口の防火扉も閉まっている状況の中歩ける人は当院から100メートル程離れた避難場所へ誘導、車椅子の人は、エレベーター使用不可の為スタッフ2-3人で1階まで移動した。<BR>19時20分全員の避難が完了、患者の状態を確認し抜針する。<BR>19時40分患者の帰宅開始。帰宅できない患者を病院玄関ホールへ移動。交通手段のない患者に対し、スタッフが道路状況を確認しながら車で送迎。22時過ぎ最後の患者を家人が迎えに来て、全員の帰宅が完了。<BR>10月24日(地震発生後1日目)復旧作業開始したが、給水管の破損のため透析再開不可能にて10月25,26日の両日他施設に、依頼することになる。<BR>その為患者に電話連絡し依頼透析を行なうことになった旨を伝え、場所と時間、交通手段の確認を行なう。他施設に持っていく書類、ダイアライザー、回路等の準備も平行して行なった。<BR>また連絡の取れない患者に向け、当院で透析が出来ない為連絡してほしいと放送局に依頼。<BR>10月25,26日(地震発生後2・3日目)2施設にそれぞれ1日約30名ずつ透析を依頼、その際に看護師4名がそれぞれの施設に付き添うこととした。当院に残ったスタッフは患者連絡や復旧作業、病棟透析にあたった。<BR>【反省、問題点】<BR>地震発生時医師がセンターにいた為指示、判断がすぐ伝わり速やかに行動する事が出来た。しかし、医師不在時に誰がどのように指示し、連絡行動をしていくのか考えていく必要があると思う。その他、返血する際の優先順位・交通手段のない患者の帰宅方法も検討課題としてあげられる。<BR>院内の被害状況については、透析センターが渡り廊下を挟み病棟とは違う棟にあるため、地震直後病院側、透析スタッフ双方お互いの被害状況を把握しきれなかった。全館放送等情報の伝達手段の検討が必要とされる。<BR>患者に連絡を取るさい、避難場所が分からず苦労したが、今後行政やメディアの活用について事前に情報を得て有効利用できる方法を考えていかなければならない。依頼透析に関しては、受け入れ先の情報を確認した上での準備が必要だと思われる。30名という多人数の依頼だった為双方共に混乱し大変ではあったが、患者にとっては顔なじみのスタッフがいることから安心感を得られたようだった。しかし、移動に片道1時間から1時間30分かかり患者負担が大きかったと思われる。<BR>【まとめ】<BR>今回の経験を通して、災害時の問題点や課題を基に災害対策マニュアルを検討中である。今後様々な災害を想定したマニュアルも作成していきたい。