著者
余 迅
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.159-171, 2016-12-15

『王先生』は、1928年から1937年にかけての10年間に、著名漫画家の葉浅予(1907-1995)が創作した連環漫画作品である。中国漫画史においては、連載期間が最も長い連環漫画と考えられてきた。『上海漫画』の第一号にはじめて姿を現し、徐々に漫画界の注目を浴び、広範な大衆の間で熱狂的な人気を博した。先行研究ではしばしば、『王先生』が「官僚の世界の腐敗を暴露し、下層社会の人民に対する同情を表現した」と指摘されたが、本来の主旨、及び表現論のアプローチからの分析などはまだ十分とは言えない。本論は、二つの部分から構成されている。論文の前半では、まず、『王先生』がジョージ・マクマナスの漫画『親爺教育』からどのような影響を受けたかについて考察した。当時の上海において、英字新聞『大陸報』(China Press)に掲載された『親爺教育』(Bringing up Father)は非常に人気があった。葉浅予は読者を引きつけるため、この漫画を模倣し、中国初の長編漫画を創作した。しかし、この『王先生』は単純な模倣作品ではなく、新たな「上海漫画」として生成されたことを本稿では明らかにした。また葉浅予が『親爺教育』における「妻の尻に敷かれる夫」の話から出発し、テクストの空間を広げ、私的空間から公共空間への流動性を示していたことも発見できた。後半では、王先生を例として取り上げ、表現論のアプローチにより、草創期の中国連環漫画と映画の相関について考察した。また、「逃走-復帰」の主題をめぐり、『王先生』から感じられる人物の「動き」についても検討した。 その結果、草創期の中国連環漫画では、映画からの影響が顕著に見られる。「映画の撮影」や「映画の鑑賞」に関する取材が行われただけではなく、映像文法がコマの間に投入されるため、そこに緊密な繫がりが感じられる。また、漫画家たちは、多くの視点から、ある事件が発生した過程を表すため、連続のコマを読むとき、読者に「運動」の意味を感じさせる。
著者
余 迅
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.14, pp.187-203, 2014

葉霊鳳(1904-1975)は、創造社の中堅社員として、よく海派文学の代表者と考えられているが、日本で書かれた葉霊鳳に関する論文は、筆者の知る限りでは非常に少ない。葉霊鳳研究を推進するため、本論文は、中国における葉霊鳳への評価を、20~30年代、80~90年代、21世紀以後に分けながら、彼に対する評価が否定的なものから、肯定的なものへと変わってきていることを紹介した。中国では、魯迅によって、「年若くみめ美しくして、歯白く唇紅くなる」という否定的な評価が与えられてから、それが葉霊鳳評価のよりどころとなった。80~90年代、葉霊鳳の作品が再評価され、特に性愛小説や書評などが高く評価された。しかし、「反逆者」・「売国奴」という人々の心に残された深いイメージが、日本における葉霊鳳研究にも影響を及ぼした。また、あくまでも題材的に社会性があるかどうかという点が葉霊鳳を評価する際の基準となっていることは、現在に至るまで変わっていない。葉霊鳳は、小説家であると同時に、優秀な画家である。近年の海派小説研究は、葉霊鳳作品におけるデカダンス、また西洋文学の受容に注目しているものの、葉霊鳳と絵画との関係については本格的に論じていない。よって、本論文の後半で、葉霊鳳と絵画の関係について少しだけ触れ、蕗谷虹兒の受容をめぐって、葉霊鳳小説における絵画的要素「フレーム」に着目し、テクストの再考を試みた。葉霊鳳小説の中には、フレームの形態との類似が看取できた。また、フレームによって、語り手と登場人物、現実と幻想が切断され、不思議な「夢世界」が生み出された。