著者
児玉 真美
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.55-67, 2019-04-20 (Released:2020-04-20)
参考文献数
19
被引用文献数
1

世界各地で「死の自己決定権」「死ぬ権利」を求める声が広がり,積極的安楽死と医師幇助自殺の合法化が加速している.それに伴って,いわゆる「すべり坂」現象の重層的な広がりが懸念される.また一方では,医師の判断やそれに基づいた司法の判断により「無益」として生命維持が強制的に中止される「無益な治療」係争事件が多発している.「死ぬ権利」と「無益な治療」をめぐる2 つの議論は,決定権のありかという点では対極的な議論でありながら,同時進行し相互作用を起こしながら「死ぬ・死なせる」という方向に議論を拘束し,命の選別と切り捨てに向かう力動の両輪として機能してきたように思われる.日本でも「尊厳死」のみならず積極的安楽死の合法化まで求める声が上がり始めているが,「患者の自己決定権」概念は医療現場にも患者の中にも十分に根付いておらず,日本版「無益な治療」論として機能するリスクが高い.日本でも命の切り捨ては既に進行している.
著者
児玉 真美
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.55-67, 2019

<p> 世界各地で「死の自己決定権」「死ぬ権利」を求める声が広がり,積極的安楽死と医師幇助自殺の合法化が加速している.それに伴って,いわゆる「すべり坂」現象の重層的な広がりが懸念される.また一方では,医師の判断やそれに基づいた司法の判断により「無益」として生命維持が強制的に中止される「無益な治療」係争事件が多発している.「死ぬ権利」と「無益な治療」をめぐる2 つの議論は,決定権のありかという点では対極的な議論でありながら,同時進行し相互作用を起こしながら「死ぬ・死なせる」という方向に議論を拘束し,命の選別と切り捨てに向かう力動の両輪として機能してきたように思われる.日本でも「尊厳死」のみならず積極的安楽死の合法化まで求める声が上がり始めているが,「患者の自己決定権」概念は医療現場にも患者の中にも十分に根付いておらず,日本版「無益な治療」論として機能するリスクが高い.日本でも命の切り捨ては既に進行している.</p>