著者
冨江 直子
出版者
社会政策学会
雑誌
社会政策 (ISSN:18831850)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.80-92, 2010

本稿は,「救貧」が戦前日本における「社会」の形成にいかに与ったかを考察するために,「救貧」をめぐる三つの議論をみていく。第一は富国強兵のために国民を動員することを目的とした明治政府の感化救済事業である。ここでは貧者は「社会」の成員資格に満たない他者として扱われた。第二は方面委員の社会連帯思想である。これは貧者を具体的な人格として把握し,共同体の成員資格へと導くことによって「社会」に包摂しようとするものであった。第三は大河内一男の社会政策論である。これは貧者を抽象的な労働力として把握し,生産要素として「社会」に包摂しようとするものであった。後の二者は,対照的な方向に向かう議論であったが,共に,貧者を他者化して懲罰や教化の対象とする救貧のあり方へのアンチテーゼであった。これらはしかし,その精神や労働力を「社会」が領有することができない者をあらかじめ除いた世界を舞台として成立する議論であった。
著者
冨江 直子
出版者
福祉社会学会
雑誌
福祉社会学研究 (ISSN:13493337)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.95-119, 2017-05-31 (Released:2019-06-20)
参考文献数
50

米騒動は,米価の高騰に苦しんだ人びとの生活要求の叫びであった.米を求める民衆の蜂起は,日本全国に拡大し,大暴動となった.「米騒動後」の社会においては,普通選挙運動や労働運動を中心とする社会運動が大きく飛躍し,近代的市民の諸権利獲得運動の新たな段階の到来が語られた.米騒動は,民衆の生活要求というものが,政治的・社会的に無視することのできない大きな力をもつことを知らしめたのであった. しかし,米を求める民衆の暴動と「米騒動後」の社会とは,無媒介につながっていたわけではない.米騒動は,同時代の知識階級の人びとによる意味づけの過程を経て,「米騒動後」に来るべき社会構想へと媒介されていった. 本稿は,生存権への関心から,米騒動をめぐる〈意味づけの政治過程〉を分析する.近世と近代の二つの「生存権」論が交差し,交替していく過程をそこに見ることができるからである.米騒動は,近代社会における市民の権利義務――シティズンシップ――としての生存権への道の始点に位置づけられた.それは同時に,伝統的世界における民衆の生存権――モラル・エコノミー――を求める道の終点でもあった.